大寺の餓鬼に思いを寄せて。
万葉歌碑(笠女郎)
笠女郎 万葉歌 揮毫:松井玲月(書家)「相思(あひおも)はぬ 人を思うふは 大寺の餓鬼の後(しりへ)に 額(ぬか)づくがごと」
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東大寺東南院旧境内
山の辺の道の歌碑、いつでも同じ場所で。
万葉集(⑳4319)歌碑・大伴家持
山の辺の道歌碑の向きが変わっていませんか。
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古代の浪漫漂う山道散策を!
古道・七曲道
健脚でなくても古代の浪漫を感じられる山道。
紀伊国の歴史深い井澤宜庵。
井澤宜庵宅趾
今の五條小学校のあたりで医者をしていた。
綺麗にされておられます。
斉明天皇(皇極)越智崗上陵 拝所
綺麗にされておられます。
古市陣屋で数あった土蔵で現存している唯一の物です。
藤堂藩古市陣屋勘定場土蔵跡
古市陣屋で数あった土蔵で現存している唯一の物です。
万葉歌碑(巻9-1680)
なんにもない。
郵便局隣の石碑へようこそ。
天誅組風屋本陣跡碑
郵便局を目標にそのとなりの青空駐車場から入ると石碑が奥にあります。
昭和31年まで、この地域は片桐村だった。
片桐村道路元標
昭和31年まで、この地域は片桐村だった。
歴史の舞台、松永久秀の最前線!
宿院城跡
かつては松永久秀と三好三人衆が争った最前線でありました。
神社近くの円墳古墳群探訪。
九品寺裏山古墳群
築造年代は不詳のようです。
2mの櫓台と大堀切、歴史の舞台。
布施城 櫓台跡
高さ2m直径5m程度の櫓台であるが櫓台の直ぐ真後ろには大堀切が控えてあり土を盛ったと云うより削り残しの構造の様だ。
古墳時代の神秘、径20メートルの円墳!
堀ノ内古墳(堂塚山)
古墳時代後期初頭頃の築造と見られる径約20メートルの円墳。
五輪塔(延徳)
桜花散り際、龍田山の息吹。
大伴家持の歌碑
私が帰る頃にはすっかり散ってしまっているだろうなあ。
伊賀から奈良への素敵な途中。
緑の道標 大和路田原
伊賀から奈良へふける途中にありました。
小学生だった頃、毎日この角を曲がって居ました。
村井家住宅
小学生だった頃、毎日この角を曲がって居ました。
謎に包まれた10m円墳、探検しよう!
御坊中1号墳
未調査の為、築造年代、埋葬施設等が不明の約10mの円墳。
国人大輪田氏の城館址を探訪!
大輪田城跡
国人大輪田氏の城館址、壕の痕跡は確認できる。
北今市古墳群の石棺、歴史の息吹を感じて。
北今市1号墳石棺
香芝市北今市3丁目の北今市古墳群に属する北今市1号墳の石棺が移設されている。
近世の「上街道」の道標石。
石柱道標
近世の「上街道」の道標石。
小高い丘の上で、特別なひとときを。
定林寺跡
小高い丘の上。
城跡碑は見つからず。
森屋城跡
城跡碑や説明板はありませんでした。
珠城山古墳群で奈良の歴史を感じよう!
珠城山3号墳
珠城山古墳群、奈良県桜井市穴師。
金網が守る古墳の魅力!
高山2号墳(高山塚2号古墳)
2019.12.25訪問古墳全体が金網フェンスに囲まれていました。
創建当時(白鳳期)のものだそうです。
塔の大心礎
創建当時(白鳳期)のものだそうです。
後ろの大きな木が驚きの樹!
林檎の樹
後ろの大きな木がリンゴの木と勘違いしてびっくりしました。
前方後円墳で歴史探索。
神明神社裏山古墳
後円部径28メートルの前方後円墳。
平群町の梨本、道標を見つけて!
梨本の道標「左生駒/右松尾」
平群町の梨本にある道標です。
鎌倉時代の文殊型石燈籠。
般若寺型灯籠
鎌倉時代の石燈籠で文殊型ともいうそうです。
艶姿女舞衣の舞台、赤根屋跡。
赤根屋半七宅址
赤根屋(茜屋)半七の生家跡を示す石碑です。
山辺御県坐神社の境内に在ります。
万葉歌碑(元明天皇)
山辺御県坐神社の境内に在ります。
歴史を感じる特別な時間。
堂前城跡
歴史があります。
左府とは藤原頼長のこと。
左府の森
左府とは藤原頼長のこと。
生駒山口神社鳥居横の橋のたもとで。
首なし地蔵(如来)
生駒山口神社の鳥居の前の櫟原川に架かる橋の横に安置されてます。
伊勢本街道 行悦の道標右 いせ 左 はせ。
行悦の道標
伊勢本街道 行悦の道標右 いせ 左 はせ。
元興寺境内で万葉歌の旅を。
万葉歌碑
元興寺境内を散策していると … 岩に刻まれた万葉歌に出会いました。
月を愛でる大人の優雅。
在原業平朝臣の歌碑
『おほかたは
月をもめでじ
これぞこの
積もれば
人の老いとなるもの』
在原業平朝臣
大方の人は月を愛でないが
それはこれが積もったら
...
竹内街道~初瀬を結ぶ「横大路」にある道標石。
石道標
竹内街道~初瀬を結ぶ「横大路」にある道標石。
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