高山右近の銅像で歴史ロマン。
「高山右近」西森正昭の特徴
高槻城公園内に位置し、歴史ロマンが広がる場所です。
高山右近の銅像が美しい庭園のような景観で楽しめます。
復元された石垣と共に、遺構の魅力を感じられるスポットです。
当たり前に男前に出来ている。案内板にキリシタン追放でマニラの地で亡くなると。先祖は甲賀五十三家の出とか。コミックの「へうげもの」での「古田織部」の義弟では無かったとか。「利休」の弟子で秀吉からキリシタン改宗を利休が説得に来たとか。仕えた主人がバラエティ溢れて何時でも、誰の目線からでも話題豊富。そして、本人は清廉潔白だから好きな人にはたまらないだろうな。(自分がもう少し若ければ聖地巡礼を考えたかも(笑))
一度信じた宗教を棄てることなく貫いた大名に、学ぶものがあると思いました。
高槻城は、歴史の遺構としては見るものが乏しいですが、あの「高山右近」が城主を務めていたお城であり、彼がここにいたことに思いを馳せると、歴史ロマンを感じられる場所です。
■高山右近/1972/西森正昭大阪府高槻市にある銅像。高槻城公園に建つ高山右近の立位像。作銘:高山右近作者:西森 正昭 (西森 方昭)制作:昭和47年 (1972) 3月●公園内の北西部にある堀池に城壁を再現したかの様に石垣が組まれいる。その石垣の台の上にあって池側の東向きに像が配されている。西森氏の高山右近像は、同じ作品が5基ある。国内4基、フィリピンのマニラ市に1基が建立されてある。此方の高槻城公園の右近像が最初の建立。他の国内では、香川県の小豆島、石川県の志賀町、富山県の高岡古城公園に其れぞれ同作品が建つ。
憩いの場となっていますね!
高槻城公園内に建ってる。戦国期の切支丹大名で有名な人物。高槻城主で一番有名なのもこの人。
高槻城公園内に石垣が復元されている。高槻城は東西510m、南北630mの南北に長い城で、真っ白で三層の天守がそびえる美しい城と伝えられる。明治4年(1871年)の廃藩置県により廃城となり、城跡の石垣石は鉄道建設(現在のJR京都線)建設に用いられた。役目を終えた高槻城は鉄道という明治の産業革命を支えることとなった。
ちょっと庭園みたいな感じで高山右近の銅像が眺められる。東屋が在って休憩所みたいな感じだけど丸太の椅子が5個だけあります。
| 名前 |
「高山右近」西森正昭 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
十字架剣がカッコいいイケメン銅像ですね。高山右近の紹介看板が近くにありますが、子供向けの小さい紹介看板もありました。訪れた子供にも高山右近の名前が知られているようで嬉しいです。