秋芳洞近くの心落ち着く八幡様。
秋吉八幡宮の特徴
秋芳洞に程近く、手水舎の彫り物が見事です。
文久の石灯籠が静かに佇む八幡宮です。
応神天皇を祀り、心落ち着く神聖な場所です。
白村江の闘いに敗れ、倭に難民として来日した百済王を祀る、懐の深い神社です。
秋芳洞の近くにある八幡宮。社号標の立派さに思わず立ち寄ってしまいました。そして素晴らしいかった♫
手水舎の彫り物が素晴らしい。石燈籠の多さにも 豊富な石材を感じた。
故郷の、八幡宮で、70年前からよく遊びに行きました、思いでのある場所です😃
文久の石灯籠。
秋吉八幡宮は、観光地として有名な鍾乳洞である秋芳洞の入口の南西2.3kmほどの美祢市秋芳町秋吉の山の麓に鎮座している神社です。嘉祥年中(848-851年)、百済国帝、大津郡の海岸に漂着後この所に遷住し、御卒去後霊を祭りて総鎮守としました。鎌倉時代前期の建久3年(1192年)宇佐八幡宮より勧請し相殿したといいます。現在の社殿は明治30年(1897年)造営されました。御祭神は、応神天皇(武神・農耕神・海の神)、仁徳天皇(仁政の天皇・日本最初の大規模土木事業を実施)、地主神百済国王霊(朝鮮百済国の王の御霊)、玉依姫尊(綿津見大神の子・神武天皇の母神)、神功皇后(仲哀天皇の皇后・応神天皇の母)です。海上交通、海外防護、事業繁栄、商売繁盛、出世開運、武運長久、安産祈願、厄除、延命長寿、安産祈願、子育大願、国家安寧などに御利益があります。境内には鐘楼がありますが、神仏習合の時代には当社に社坊・正福寺があったとされます。神社のある秋吉(あきよし)は、かつてあった周防山口藩の美祢郡(みねぐん)秋吉村に由来します。昭和30年(1955年)秋吉村・岩永村・別府村・共和村が合併して、秋芳町が発足しました。平成20年(2008年)秋芳町・美祢市・美東町が合併し、改めて美祢市が発足しました。令和8年(2026年)の美祢市の推定人口は19,745人です。八幡神社(はちまんじんじゃ)は、大分県の宇佐神宮を総本宮とし、全国に約4万社存在する日本で最も身近な神社の一つです。その歴史は欽明天皇の時代(6世紀)に、現在の宇佐神宮の地に八幡大神(はちまんおおかみ)が顕現したことに始まります。八幡大神は応神天皇の神霊とされ、神仏習合のシンボルである「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」として、朝廷や仏教界から深く信仰されました。平安時代には京都の石清水八幡宮へ勧請され、国家を護る神として皇室から篤く崇敬されます。清和源氏の源頼義・義家らが氏神として仰いだことで、八幡宮は「武運の神(武神)」としての性格を強めます。源頼朝が鎌倉幕府を開くと、神領を鶴岡の地に移して鶴岡八幡宮を創建し、これが契機となり、全国の御家人や武士、そして庶民へと信仰が爆発的に広がりました。現代でも、厄除け、開運、必勝祈願の神として全国で広く親しまれています。
秋吉八幡宮あきよしはちまんぐう山口県美祢市秋芳町秋吉東宮の脇4979カルスト台地と鍾乳洞で有名な秋芳洞の近くにあります祭神応神天皇神功皇后玉依姫本来の祭神は嵐に遭遇し百済から漂流した国王のユウホウを祭祀するというユウホウ国王には備後の蘇民将来の伝承によく似た話があります(伊藤 彰氏 参照)
心落ち着きます。
秋芳洞の近くに有る八幡様です。秋芳洞の帰りでも参拝してみてはどうですか。
| 名前 |
秋吉八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0837-62-0837 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
〒754-0511 山口県美祢市秋芳町秋吉 東宮の脇4979 |
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