477年の歴史が息づく神社。
羽束師坐高御産日神社の特徴
羽束師坐高御産日神社は、宇宙合成を立ち上げた神々が鎮座する神社です。
西暦477年に創建された、歴史豊かな神社として親しまれています。
地域の氏神として、古き良き伝統が息づく神社です。
御朱印頂きました。商売されてる提灯🏮いっぱいありました。ガレージ10台程停めれます。
金曜の午前中に、昨年の、御札を、返しに行ったのですが、参拝客は、御一人様で、ゆったりとした気持ちで参拝、お礼が、出来ました。神社には大きな、山茶花の木があり、無茶苦茶、綺麗でした。午前中だからか、空気が、澄んでいて、心身ともに洗われるような気持ちで、暫く、散策していたのですが、ムッチャ寒かったので、今の時期(1月)は、温かい格好で!因みに、お願いは、愛する旦那様が、1日も、早く我が家、私のとこへ戻ってきますように。です(^人^)
羽束師坐高御産日神社さまと拝聴しましたら神産日神ともを1柱主成る神様天御中主大神さまが鎮座為されて三柱にて出現為されて宇宙合成を立ち上げられましたと、書き出しには在ったと、でも二柱の神様が鎮座為されていられます神社さまそして坐すと書かれます神社は奈良県の神社さなに在られることがありますから、歴史在られる神社さまでございますね。
愛すべき、極めて普通の神社だと思います。参拝していると、いろんなところからパワーを感じます。観光地ばかりでなく、こういった神社も大好きです。
「小さな地域の氏神さま」といった風情ながら、さすがは京都、おそろしく古い歴史を持つ神社です。
4時過ぎについて参拝だったので、社務所もしまってました。車は道路沿いから入った所に車をとめました。住宅街にあります。神産日神・高御産日神は造化三神のうちの2神がまつられています。
御朱印をいただきました当社は雄略天皇二十一年丁己(四七七)の御鎮座です。『続日本記』大宝元年(七〇一)四月三日条に「波都加志神等の御神稲を今より以降中臣氏に給へ」とかかれ、当社について最も古い記録です。「三代実録」貞観元年(八五九)九月八日条には「羽束志神に奉幣の使を遣し、風、雨の順調であることを祈る」とあって風雨を祈る神様としても朝野の崇敬があつかったことが、うかかわれます。羽束師は桂川及び旧小畑川等諸河川の合流点に位置して、低湿地であるが故に古くから農耕が行われ、又水上交通の要地という条件と相まって「乙訓・羽束郷」(和名抄)と称され開けてきた土地です。由緒書きより。
西暦477年雄略天皇21年創建(もうすぐ1550年!)高御産日神・神御産日神を祀る。延喜式では山城国の第一に記される。現在においては、交通の便も、決して良いとは言えず、周囲は工場が立ち並び、「神ながら」といった気分には浸りにくい。しかし、割拝殿の奥に小振りだが明るい本殿があり、周囲三方を木々が囲む。楠の大木も多く、ほっとする。参拝にみえるご近所の方も多い。
| 名前 |
羽束師坐高御産日神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
075-921-5991 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
〒612-8485 京都府京都市伏見区羽束師志水町219−1 |
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羽束師坐高御産日神社(はづかしにますたかみむすびじんじゃ)。京都市伏見区羽束師志水町。式内社(大)、旧郷社。【祭神】高皇産靈神 神皇産靈神【関係氏族】泊橿部 羽束首「泊橿部(はつかしべ)」は、古代の瓦や石灰を焼く技術集団である「泥部」のことで、彼らが居住していた京都府京都市伏見区にその名残が見られます。この地名は、後に「はつかし」から「はづかし」と読みが変わり、漢字で「羽束師」と表記されるようになったと考えられています。資料によると、桂川の東岸地区、羽束師川の西岸に接した平坦地にある。延喜式・臨時祭「祈雨神祭」85座に列し、雨乞いに験ある社として知られていた。『倭名類聚抄』山城国乙訓郡に「羽束(ハツカシ)郷」が記載されており、当社の社名はこの古い地名に因むと考えられます。当社は雄略天皇二十一年(477年)に創建されたと伝えられています。社伝によれば欽明天皇二十八年(567年)に桂川の洪水に際し天皇より封戸を賜り、また天智天皇四年(665年)に中臣鎌足が勅を受けて再建したと伝えられています。ハツカシの人々は当地に居住し、当社も元々は彼らの祖神を祀っていたのでしょう。しかし『延喜式』神名帳に見える通り高御産日神を祀っていますが、この神はハツカシの人々と結びつくものではありません。当社は次第に中臣氏の影響下に置かれるようになったことが考えられ、いつしか国家的な神である高御産日神が祀られるようになったのかもしれません。とあります。