897年の歴史、山科一ノ宮で神秘体験。
山科神社の特徴
平安時代に起源を持つ、歴史ある神社です。
大石内蔵助に縁があり、信仰を集めています。
急勾配の坂を上った先に、静かな拝殿があります。
大石内蔵助に縁のある神社だが、この神社の起源はもっと古く平安時代まで遡る。
急勾配の坂の上にひっそりと佇む神社。坂を上るのがキツイが、階段まで辿り着くと少し楽になる。振り返ると山科盆地が見えて良い景色だ。
山科の一宮と云われる神社だそうです岩屋寺の横の道を行くと、車はそのまま境内まで入れるようですし、歩きだと階段を少し上ることになります閑静な神社でした。
道中道幅がかなり狭い所がありましたが、駐車場も数台とめるところもあり、無事に参拝出来ました。坂が急勾配でしたが、手すりもあり助かりました。参拝者もコロナ禍のせいもあってか少なくて、ゆっくり安心して参拝出来ました。社務所的なものは見当たらず、御朱印や御守りなどもありませんでしたが、とても気持ちのいい感じを受けました。
鳥居を過ぎると真っ直ぐの参道と左に大きく蛇行する上り坂が、拝殿が見える参道を進みましたが、この参道見た目以上にきつい坂でした途中手すりのお世話になり拝殿に到着です。参拝の方々はなく、バードウォッチングの方が一組だけで、鬱蒼とした樹木に囲まれて鳥の鳴き声に癒されました。平安中頃に創建され山科一之宮とも西岩屋大明神とも云われ地域の産土神として慕われたのに、ここも戦火に勝てず滅亡と思いきや、江戸初期に再建され現在の姿が残されたとお聞きしました。今から二之宮/中臣神社に向かいます。
私の産土神社です。鳥居から本殿までが結構な急登ですが、最近舗装されて歩きやすくなりました。右奥の山道から伏見稲荷大社へも行けます。
創建は897年宇田天皇の勅命によると社伝に有る、この地の産土神として信仰をあつめ、山科一ノ宮と呼ばれていた歴史ある静かな神社です。山科神社、岩屋寺、大石神社とお薦めです。紅葉、桜も期待です。
| 名前 |
山科神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
075-581-1724 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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山科神社(やましなじんじ)。京都府京都市山科区西野山岩ヶ谷町。式内社(名神大)二座、旧村社。主祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)。稚武王(わかたけのみこと) - 日本武尊の子。資料によると、社伝によれば、寛平9年(897)宇多天皇の勅命により創建されたと伝え、以後、この地の豪族宮道(みやじ)氏の祖神として、また山科一ノ宮とも呼ばれてこの地の産土神として人々の崇敬を受けて栄えてきた。宮道氏は日本武尊の子孫とも物部氏の一族とも言われており、出自は諸説あってはっきりしません。当社の御祭神が「日本武尊」およびその御子である「稚武王」となっていることから、当社では日本武尊の子孫としているようです。文献上では、山科神社の祭礼である「山科祭(やましなのまつり)」の存在も知られる。『本朝月令』では、寛平10年(898年)3月に山科祭が官祭とされた旨が、『延喜式』では毎年4月・11月の上巳の日に山科祭が斎行された旨などが記載されている。なお、宮道列子(宮道弥益の娘)と藤原高藤との間に生まれた藤原胤子が醍醐天皇(在位:寛平9年(897年)-延長8年(930年))の生母になることから、山科神社奉斎氏族たる宮道氏の醍醐天皇外戚への位置づけが山科祭の官祭指定の背景として指摘される。ただし、以上の文献で記載される「山科神」については、岩屋神社(山科区大宅中小路町)や宮道神社(山科区勧修寺仁王堂町)に比定する説もあり、詳らかとしない。岩屋神社は当社奥の院であったといい(現在は独立の神社)、かつて大石良雄が山科に隠棲していた際には、岩屋神社に参篭して大願成就を祈ったという。江戸時代には「西岩屋大明神」や「一の宮」と称されていた。明治維新後、社名を現在の「山科神社」に改称。また明治6年(1873年)には近代社格制度において村社に列している。とあります。