源頼朝の硯山、伊八の波彫刻。
長福寺の特徴
大同2年に建立された、由緒ある天台宗の古刹です。
源頼朝の伝説が残る硯山の名を持つ寺院です。
波の伊八による素晴らしい欄間彫刻が見どころです。
山号を硯山、院号を無量壽院と号し、阿弥陀如来を御本尊とする天台宗の寺院で、天台宗開祖伝教大師・最澄(766~822年)を開山として平安時代初期の大同2(807)年に創建されました。山号の『硯山』は、鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝が号したとされ、治承4(1180)年の石橋山の戦いに大敗した頼朝が安房国に逃れ、平家追討の書状を当寺院で記す際に住職の差し出した『硯(すずり)』があまりにも見事だったことに由来すると伝わります。御本尊の阿弥陀如来座像、脇侍の観音菩薩と勢至菩薩は、膝を軽く曲げた躍動的な容姿で、室町時代(1336~1573年)の造像とされます。千葉県の有形文化財(彫刻)に指定される『木造薬師如来坐像』は、檜の一木割矧造りで等身の像高101cm、古くは当寺院の隠居寺である釈迦谷寺の御本尊として祀られていました。造像は、作風から平安時代(794~1185年)後期から鎌倉時代(1185~1333年)初期と考えられ、膝裏及び胎内に建長2(1250)年と寛永5(1628)年の修理墨書銘あり、脇侍である不動明王と毘沙門天立像も同時期作とされます。千葉県の天然記念物に指定される『長福寺ノ槙』は、樹高12m、目通幹囲5.0m、根回り5.5m、推定樹齢1350年とされ、源頼朝が平家追討の書状を記した際に筆を本堂前の槙の木に一時的に置いたことから『筆掛の槙』と呼ばれるようになりました。本堂欄間には、宝暦2(1752)年に現・鴨川市打墨で生まれた彫刻師『波の伊八』こと初代・武志伊八郎信由の原点の彫り物が飾られ、中央『波に龍』、左右『雲に麒麟』を配した寛政元(1789)年制作の見事な三面彫刻です。開山1200年を記念して平成19(2007)年に建立された硯堂『無量壽庵』には、寺宝・端渓硯(銘: 無量壽)が安置され、幅約95cm、長さ約130cm、厚み約13cm、重さ約1t、周囲に松竹梅と無数の鳥の透かし彫りが見られます。広大な境内に駐車スペースあります。
大同2 年(807) 宗祖伝教大師自ら建立されたと伝えられる歴史あるお寺。波の八巡りで参拝。「関東に行ったら波を彫るな」とまで言わせた「初代武志伊八郎信由」(1751~1824)の原点の彫り物が本堂欄間を飾っています。1789年の制作で、中央に「波に龍」、左右に「雲に麒麟」を配した三面です。
「硯山」の山号を源頼朝より頂戴したと伝わるお寺です。石橋山の戦いで敗れた源頼朝公が平家追討の書状を当寺でしたためた時に、こちらのお寺が差し出した硯が素晴らしかったので、山号のなかった長福寺の山号として「硯山」を付いてそうです。また、その書状を認めていた折、近くの山で馬がいなないたため、平家の追っ手が来たと考えて源頼朝公は境内の槇に手にした筆をかけたことで、境内の槇を「筆掛けの槇」を呼ばれるようになりました。さらには、様子を見に行かせた家来が連れてきた馬が、源頼朝公の愛馬と呼ばれる「磨墨」と云われているそうです。また、源頼朝公の伝説から500年程の月日が下りますが、「関東に行ったら波を彫るな」とまで言わせた伝説の宮彫師である初代「波の伊八」の彫り物が本堂にあり、中央に「波に龍」、左右に「雲に麒麟」を配した三面が欄間に飾られています。なお、お寺の歴史自体も古く、大同2 年(807) と伝えられる古刹で開山1200年のお寺です。当時に伝わる平安仏の「薬師如来」の御朱印も頂けます。法事でお忙しいところに、御朱印をお願いしてしまいましたが、快く応じて頂きました。本当にありがとうございます。
源頼朝伝説と伊八彫刻の寺天台宗硯山長福寺大同2年(807)宗祖伝教大師によって建立されたと伝えられる古刹で石橋山の戦いに破れ、房総に逃れた源頼朝が平家追討の書状をしたため、その時当寺の差し出した硯が素晴らしかったので「硯山」の山号を頂いたとも伝えられます。また、源頼朝が当寺に立ち寄り本堂前の槙の大木に筆を掛けたと伝えられる「筆掛け槙」があります。また、仁王門の仁王様は足の痛みを取る仁王様として知られ、棚の間から手を入れ痛い所をさすれる様になっています。
御朱印(500円)目的の訪問。本堂脇には、1トンもの重さの端渓硯が展示されている「無量壽庵」がある。ところで、御朱印は、大体300円か500円だが、真言宗に比べて、天台宗の寺は500円が多い。
建立1200年由緒ある天台宗寺院建物、仏像もそうですが庭の樹齢500年以上の槇の木もすごいですよ。
見ものはふたつ、源頼朝使用の硯と「波の伊八」作の欄間です。源頼朝が平家追討の書状をしたためる際、寺が用意した硯がたいそう立派であったがゆえ、頼朝から硯山の山号を賜ったとされています。境内にある無量壽庵なる建物には立派な端渓硯が飾られているものの、それが頼朝の使用したものかはつまびらかにされていません。もうひとつの見ものである「波の伊八」こと武志伊八郎信由作の欄間も、見事な出来ばえながらも大作感に欠けるのは否めません。いずれも遠路はるばる訪れて見ると「え、こんだけ?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。この辺りには「波の伊八」の作品としては最も有名な「波と宝珠」の欄間を蔵する行元寺、随一の大作を蔵する飯綱寺、上総一宮の玉前神社、養老渓谷などの名所が点在しているので、それらとあわせてどうぞ。なお、公共交通機関でのアクセスは制約が大きいので、レンタカーかタクシーの貸切がおすすめとなります。
金が上がってきたことを実感できます。何よりも和尚さんのお話が有り難いです。
本堂にある初代武志伊八郎作 欄間の波の浮き彫りがとても素晴らしかったです。
| 名前 |
長福寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0470-66-1736 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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波の伊八こと武志伊八郎信由の欄間彫刻が間近で見られます。葛飾北斎にも影響を与えた人の貴重な作品です。静かな場所にあり、ゆっくり拝見出来ました。