吉田定房の歴史散策。
吉田定房の墓の特徴
吉田定房は鎌倉時代後期の公卿で、歴史的意義があります。
南北朝時代に重要な役割を果たした氏族の墓でもあります。
吉野町吉野山に位置し、歴史を感じられるスポットです。
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| 名前 |
吉田定房の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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吉田 定房(よしだ さだふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。藤原北家勧修寺流吉田家、権大納言・吉田経長の長男。官位は従一位・内大臣。後醍醐天皇として即位すると側近として仕え、北畠親房、万里小路宣房と合わせて「後の三房」と呼ばれた。建武政権は足利尊氏によって倒され、後醍醐天皇は同年暮れに吉野に逃れる。後醍醐天皇の吉野行きから半年余り後、北朝では定房が吉野の南朝へ出奔した。後醍醐天皇が吉野行宮で開いた賞月歌会に定房が参加してその和歌が『新葉和歌集』に採録されている。だが、この歌会から4ヶ月後に吉野にて65歳の生涯を閉じた。後醍醐天皇がその死を悼んだ歌が『新葉和歌集』に採録されている。