芸術の歴史を感じる、望月玉蟾石碑!
望月玉泉居住地の特徴
京都画壇を支えた望月玉泉の足跡を辿る場です。
中京区室町通に位置する望月玉蟾居住地の石碑です。
芸術の歴史を感じる名匠の邸宅跡を訪れることができます。
中京区室町通丸太町下る西側にあるのが「望月玉蟾居住地」の石碑になります。望月 玉蟾(もちづき ぎょくせん、1692年~1755年)は、江戸時代中期の日本画家。望月派の派祖になります。この望月派の四代目である望月玉泉(1834年~1913年)は、幕末から明治期の画家になります。京都画壇の復興に努めた望月玉泉の邸宅があったことを示す石碑になります。
| 名前 |
望月玉泉居住地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na042.html |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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京都画壇を支えた名匠――望月玉泉邸宅跡を訪ねて京都の町を歩いていると、芸術の歴史を静かに伝える場所に出会うことがあります。今回紹介するのは、幕末から明治にかけて活躍した画家・望月玉泉の邸宅跡です。現在は石標がその場所を示すのみですが、ここには近代京都画壇の再興に尽力した一人の画家の足跡が刻まれています。望月玉泉(1834~1913)は、江戸時代中期の画家・望月玉蟾を祖とする望月派の四代目にあたります。代々受け継がれてきた画系の伝統を背負いながらも、時代の変化に応じた新しい表現を模索した人物でした。その活動の中でも特筆すべきは、明治期における美術教育への貢献です。玉泉は、同時代の画家である幸野楳嶺とともに、京都府画学校の創設に関わり、衰退しつつあった京都画壇の復興に力を注ぎました。近代国家の成立とともに、日本画のあり方が問われる中で、彼らの取り組みは大きな意味を持っていました。画風においては、父・玉川からの教えを基盤としつつ、写実的で叙情性豊かな四条派と、力強い表現で知られる岸派の技法を取り入れています。特に岸駒に始まる岸派の影響を受けながらも、それらを巧みに融合し、写生を重視した温和で親しみやすい画風を確立しました。この邸宅跡に立つと、玉泉が日々筆を取り、自然を観察しながら作品を生み出していた光景が思い浮かびます。芸術と教育の両面から京都の文化を支えたその姿は、まさに近代日本画の礎を築いた存在といえるでしょう。現在は往時の建物は残っていませんが、石標がその場所を静かに伝えています。京都散策の折には、こうした芸術家ゆかりの地にも足を止め、町の中に息づく文化の歴史を感じてみてはいかがでしょうか。