風光明媚な吉野で癒しのひととき。
宮滝遺跡の特徴
魅力的な風光明媚な地で癒しを求められます。
大海人王子と鵜野讚良皇女の歴史的な足跡があります。
駐車場は宮滝河川交流センターが便利で無料です。
20210404室生寺から吉野へ向かう途中で寄りました。元々、大王の離宮があった所でした。大海人皇子が天智天皇から逃れ隠匿していましたが、天智天皇が崩御すると、家族と僅かな兵を伴いここを起ち不破関へ向かいます。そこで多くの兵を集め大伴皇子を攻めます。壬申の乱はここから始まりました。後に持統天皇は30回以上ここを訪れたとのことです。今、資料館があるあたりの高台、国見の丘、から吉野の宮を眺めていたとのことです。吉野の宮遺跡は埋め戻されているため何もない草地があるだけです。説明板も殆どありません。先に資料館で勉強してきたので、草地の上に立つ建物が目に浮かびます。資料館の人によると、ここを観光地として整備する計画が進んでいるようですが、やり過ぎが心配です。歴史遺跡は具体的ものを復元するのではなく、頭の中のイメージを手助けする整備を期待します。
写真は今のところ、宮滝遺跡、夢のわだ周辺が混在しているようです。宮滝遺跡は 縄文、弥生、飛鳥、奈良の各時代の遺跡の総称ですから範囲も広く、民家の下になっている場所も多いです。
駐車場が無いですが、歩いて数分の橋のところにある宮滝河川交流センターの駐車場(無料)に停めると良いです。そこにトイレや自動販売機もあります。また近くにある梅谷醤油店(広い駐車場あり)で地元の宮滝醤油を買い物できます。宮滝遺跡は地面にテープが張ってあり建物跡が区分けしてあります。そのまま奥に進むと河原に降りることができ、とても眺めの良い風景が楽しめます。宮滝河川交流センターのところからも河原に降りることができますが、宮滝遺跡の河原と宮滝交流センターの河原は繋がっていません。どちらか一つだけにするならばこちらの宮滝遺跡の河原の方が広々としていて楽しめるのではないかと思います。一方で宮滝河川交流センターの下の河原は大きな岩が切り立っていて、少し怖いですが荒々しい風景が楽しめます。どちらも、より下流の方の吉野山のところの広くゆったりとした河原とは異なり、上流の山の方の河川風景の魅力が味わえます。なお、宮滝河川交流センターから降りた河原から、下流に向かって遊歩道のように河の近くを歩けるようになっていて、下流の橋のところに階段が見えて登れそうに見えますが、(老朽化のためか)バリケードで封鎖されていてもとの宮滝河川交流センターのところからしか登れないので注意したほうが良いです。
夢のわだの流れが早くて驚きました!ここに来るまで、天武天皇は吉野山のてっぺん辺りに雌伏したのだと勘違いしていたのですが、麓のこんな景観の良いところだったのか!と改めて驚きました。行ってみないとわからない事がたくさんあるものです。近くの吉野歴史資料館も併せてオススメします。資料館はなんだか冴えませんが、展示資料は宮滝遺跡に興味ある方々であれば飛びつくようなものだと思います。
古くは縄文の時代からこの地は風光明媚な住みやすい地だったのだろう。紀の川をさかのぼり吉野川と続く川沿いで平地の所は限られていたのだろうけど、斉明天皇、天武天皇、持統天皇などのお気に入りで川遊びもしていたかと思うと微笑ましい。特に持統天皇の吉野行幸の頻度は異常なくらい多い。藤原宮、飛鳥からは芋峠を越えて行ったと思われるが何がそうさせたのかミステリーだ。
大海人王子(のちの天武天皇)と鵜野讚良皇女(のちの持統天皇)が吉野に逃れて、ここから、兵を挙げ、大友王子との戦いに向かった。この戦いを壬申の乱という。
離宮である吉野宮の所在地。、大海人皇子(後の天武天皇)が妃の鵜野皇女(後の持統天皇)や子供の草壁皇子ともに吉野宮に隠棲。後に弘文天皇(大友皇子)と対立してここで挙兵した(壬申の乱)。
| 名前 |
宮滝遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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仕事を退職し癒しを求めて訪れました。渓谷から眺める吉野川は関西圏で屈指のパワースポットと言えるでしょう。アクセスは不便だが、一見の価値はあった。