富士山背に舞う、弟橘姫の伝説。
吾妻神社の特徴
日本武尊妃弟橘媛の遺品の櫛を祀る、特別な神社です。
千葉県の無形民族文化財に指定される馬出し祭りがあります。
富士山が見える立地にあり、風格ある社殿が魅力的です。
大みそかのカウントダウンでは、東京湾越しに、横浜の花火が見えます。
お詣りした日:令和7年2月11日駐車場:あります(鳥居の隣、その先に臨時駐車場)御朱印:書置きがあります(お賽銭箱の奥)トイレ:ありますすがすがしく感じられる神社です。昔の階段も少し残っていて苔むして感じがいいです。富士山も見えます。
神社自体はすごく良いのですが新しい手すりがピカピカすぎて古い神社には似つかわしくない感じがして勿体無いです。
『吾妻神社』住所→ 〒293-0035 千葉県富津市西大和田98祀神︰弟橘比売命御朱印:あり駐車場:あり備考:・海岸に漂着した弟橘比売命の遺品の櫛を日本武尊が拾い清め、此方の神社に納め祀ったことが始まりとされている。・治承4年に源頼朝が武運長久を祈願したという話が残っている。・かつては、神仏習合がされており『吾妻大権現』や『宝鐘寺』と呼ばれていた。・明治3年の頃に名を改めて、『吾妻神社』となった。・本堂に行く道には、階段かクネクネした坂道がある。・途中には、『日月の杜』があり、本堂の隣には『粟島神社』『琴平神社』がある。・『粟島神社』と『琴平神社』は、同じ社にあり、鳥居が縦長。・基本的には無人の神社・最近、御朱印を始めたらしく、本堂の賽銭箱の奥に引き出しがあり、そちらで書き置き御朱印を頂ける。・日付は自分で入れるため、ペン類も置かれている。#神社#御朱印#吾妻神社#結月大佐の御朱印さんぽ。
当社は山上にあって、海岸に漂着した日本武尊妃弟橘媛の遺品の櫛を社殿に収めて祀ったと伝えられる。治承四年源頼朝が当所を通過のとき武運長久の祈願をして幣帛を奉った由。神仏混合時代は吾妻大権現と称し、別当寺は宝幢寺であった。明治三年今の社号に改め、明治三九年一二月幣饌料供進社に指定され、大正四年一〇月五日会計規定適用社に指定された。氏子は西大和田・絹・上・中・八田沼・近藤・岩瀬の広い範囲で、お祭の時は長い道中馬かけ、神輿の渡御があって実に盛大である。九月一七日の例大祭に馬出しと神輿の渡御がある。馬出祭の用具は千葉県有形民俗文化財に 指定されている。【現地案内板より抜粋】弟橘姫にまつわるお社の一つ。広い駐車スペースがあります。社殿まで上がる九十九折りの参道が謎でしたが、神事の説明を読み合点がいきました。書き置きの御朱印を頂きました。非常に良い参拝ができました。
千葉県の無形民族文化財の指定を受けている馬出し祭りなるものがあるようです。山間部に現れた神社は、良くあるタイプの階段を登った先に拝殿がある形式です。しかし、新しめな階段は登りやすく、しかも杖まで用意され、参拝者に配慮がされています。でも、杖は使いませんでしたけど・・・。ご年配者向けでしたね。失礼しました。階段に立ち並ぶ幟は雄壮でした。しかも拝殿の中も拝見できます。御朱印は書き置きが用意されていました。200円をお賽銭箱へ。本殿かと思ったお社は、どうやら奥の院のようです。桜の木も枝垂れ桜や山桜、冬桜などが植樹されていたので、春は美しく彩られると思います。皆さんとはその時にお会いしましょう。
学校の向こうに富士山が見える立地。拝殿は大きく、本殿は地主の家にありそうな蔵みたいなつくりになっています。トイレは綺麗で、石段の麓には参拝用の竹の杖があるなど参拝者への優しさを感じます。書置きの御朱印があるようでした。
海神に身を捧げて海を鎮めた弟橘姫の櫛が、現在の富津市岩瀬の海岸に漂着、それを見つけた人たちが、馬の背にその櫛を載せて吾妻山に奉斎したのが起源だという。弟橘姫の霊を鎮めるためという「馬だし祭り」では、「御浜下り」と称して岩瀬の浜で神輿ごと海中に入り海水による清めを行った後、夜に当社へ還御するとき氏子たちは各自手提げ提灯をかざす。対岸の横須賀市の走水神社の氏子が海岸に出て、お浜降りの提灯を望見し「上総の吾妻様がお立ち帰り」といって遙拝するのが習わしだという。
H30.7.29参拝 社務所らしき建物もなし無尽のようですが、立派な神社でした。
| 名前 |
吾妻神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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(備忘録)・三連休最終日、8時30分頃に参拝・駐車場は広く、駐車に困ることはないはず・富士山を背に階段を登ると、凛とした社と対面することになる・前日は強風であったため、宮司さん?地域の方?が葉っぱを片付けており、ことさら大事にされている神社だと実感したありがとうございます。