絶景の君津人見神社。
人見神社の特徴
君津市の小高い山に位置し、絶景の眺望が楽しめます。
人見神社は奈良時代以前に創建され、歴史的な背景が魅力です。
社殿横には観音堂も併設されており、独特の雰囲気があります。
緑に囲まれた静かな場所で落ち着くことができました!おみくじは4種類ほどで充実しています。奥に行ったところに君津を一望出来る場所と、ベンチが数個あったのでゆっくりできます。
初来訪です。訪ねたい神社でしたが、なかなか行けずにいました。行くまでの坂はキツく長いのでお気をつけを。小さな境内ですが、空がすごく広く感じられ、清々しかったです。千葉県眺望100景にも選ばれる展望台が併設されています。夕日がきれいなのでぜひ。
1月1日初詣⛩️規模、混雑はそれ程でもないですが眺望が素晴らしい。駐車場からそれなり歩きますがその甲斐はあります。お店もそれなりに出ていて初詣雰囲気もしっかりあります。階段があったので降りて行ったら見事に山の反対側に出ました。帰り道は素直に来た道を戻りましょう。
令和8年1月11日🎍🐴2度目の参拝🙏✨1度目の参拝は、随分前です✨この日は、🗻が見えませんでした😊✨駐車場🅿️は境内にも何台か停められます🚗私は、境内の外に停めました☺️結構キツイ坂です💧あまり広い道路じゃないので、途中のすれ違いが厳しいです💧境内は、広くはないです。成人式の帰りの参拝者も訪れてました✨祈祷も中で行われていてました✨お正月限定の見開きご朱印が、凄く良いですね🤗✨ご朱印は初めて拝受しました🙏✨金色の玄武のスタンプが押されてます😊✨🙏✨🚻は凄く古そうです💧中には入ってません👀
社殿がとても綺麗で良い気の漂う神社です。境内横の見晴らし台からの景色は絶景です。神社に向かう道の途中に駐車場がありますが、境内にも5台分の駐車場が有ります。
千葉にある「人見神社」は、人見山の山頂に鎮座する古社で、景行天皇の御代に創建されたと伝わる由緒ある神社です。寺と神社が一緒にある珍しい形です。ご祭神は日本武尊で、房総の地を平定する際に関わりがあるとされています。山の上にあるため境内は自然に包まれ、静かで清らかな空気が流れており、とても雰囲気の良い場所でした。御朱印は直書きで、とても丁寧かつ美しく書いていただけたのが印象的です。社殿の佇まいも落ち着きがあり、参拝すると心がすっと整うような気持ちになれました。歴史と自然の両方を感じられる神社で、散策や小旅行の立ち寄りにもおすすめです。
ナビどおり行くと上の本殿近くの駐車場に向かうので最初の鳥居は遠くなります。駐車場は3ヶ所ありますが狭いです。道も傾斜がきつく狭いです。最初の鳥居から登るとふたてに別れるので左の階段を登りましょう。試しに右ルート登って行くと道が悪く所々崩れたりしていてかなり急で大変でした。体力のないかたや高齢者は上まで車で行きましょう❗左ルートも階段が奥行きがなくかなり急で手すりにつかまらないと怖いです!私は目の病の為「ひとみの御守」をゲット❗失明しないようお祈りしました。人を見分けるなど目に関する神社のようですね👁️👁️
君津エリアでは、最も大きく立派な神社なのではないでしょうか。ハマコーさんが奉納した太鼓があります。神社のホームページの、ご祈願について のページに写真が載っていました。祈願内容も工場安全、工場安全…など、地域色に合わせた特徴があり、中々に面白いです。
16時少し過ぎに到着したところ、すでにお詣りできる時間を過ぎてしまっていました。やはり16時前に到着する必要がありますね。それでも高台にある境内からの眺望は良く、東京湾が見え、明るい雰囲気の神社でした。空気が澄んで晴れている日は富士山やみなとみらいが見えるそうです。駐車場は、境内のすぐ脇に2台くらい、少し坂を下りたところに5台きらい、さらに坂を下りたところに20台くらいはありました。
| 名前 |
人見神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0439-52-5008 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
君津市の人見神社⛩️です。御祭神は天之御中主神です。人見神社の公式HPによると後由緒は、『人見神社は小糸川の河口、東京湾をのぞむ獅子山(人見山)の頂に鎮まり、古来より二総六妙見(上総の人見神社・久留里神社・横田神社、下総の千葉神社・印西妙見宮・飯高妙見宮)の一社として人々の篤い崇敬を受けてきました。古く、日本武尊が相模から房総へむかう海上で嵐に遭ったとき、妃の弟橘姫命は自ら海中に身を投じて龍神の怒りを解き、暴風を鎮めたといいます。無事、上総へ渡った武尊は獅子山に登り、妃を追慕しつつ海路を「不斗(ふと)見そらし給う」たので「ふとみ」すなわち「人見(ひとみ)山」となったといわれています。当社は奈良時代以前、孝徳天皇の代に日向国より勧請されました(別当・青蓮寺の「妙見縁起」)。あるいは昔、近郷の大堀の地にわずか二戸しかなかった頃、うち太右衛門が草刈をしていて妙見尊像を見つけ、もう一人の市右衛門と相談して獅子山に祀ったという「妙見隠し」の伝承も残されています。また、天慶三年(940)、平忠常が上総介として赴任した折に武蔵国より北辰妙見の神霊を上総・下総各地に勧請しその中の代表的な一社が当神社です。忠常の祖父、平良文(千葉氏の祖)は高望王の子で、東国へ下って妙見菩薩を祀るなど代々、妙見信仰の念が篤かったのです。治承四年(1180)、相模石橋山の合戦に敗れた源頼朝も、再起を期して内房の礒根伝いを舟で進軍の折、小糸川河口に着岸し当社に武運長久の祈願文を捧げたと伝えられています。天正19年(1591)には徳川家康より良田五石の朱印の寄贈がありました。元禄4年(1691)には当地方の領主、小笠原彦太夫より大刀の献納がありました。小笠原氏は以来、例祭に奉幣参拝を欠かしませんでした。そして寛政9年(1797)、小笠原兵庫と氏子らが浄財をもって春日造の社殿を造営しました。明治に入ると神仏分離の国策を受けて人見神社と称し郷社に列せられ、妙見菩薩は観音堂に祀ることになります。高度経済成長期には、ふもとの湾岸に大規模な製鉄所が建設されるなど、周囲の景観は変貌しましたが、人見の杜は近郷近在の人々をこれからも見守り続けることでしょう。』とありました。高台にあり、車で境内まで登っていけますが車高の低い車などは難しいでしょう。眺望も良く、「ちば眺望100景」に選ばれています。扁額の文字は、政治家でありながらもタレントとしても有名だったハマコーこと浜田幸一のものでした。確かにハマコーの地元は君津市でしたっけ。