飽富神社で狛犬の宝探し。
飽富神社の特徴
飽富神社は袖ケ浦公園近くに位置し、開放感あふれる境内です。
精緻な彫刻が施された拝殿向拝や古社の雰囲気が魅力的です。
狛犬ファン必見の珍しい狛犬と石燈籠が境内に存在します。
境内は広くないが静かで明るく空気も澄んで開放感がありますまた式内社の古社らしい落ち着きを感じます子供の狛犬が戯れている石燈籠が珍しいし、拝殿向拝の彫刻は精緻で素敵です境内社や石祠が多いが、案内によると飽富神社の七十五末社と呼ばれてるらしいですが、ちゃんと75全部あるのかは未確認です。
全国の狛犬ファンの皆さ〜ん、ここは要チェックです!いつもの台座から離れたちんまい狛犬ちゃんズが、灯籠の下で遊んじゃってます。いやこんなのはじめてみました。入り口はわかりにくく通りすぎたりもしますが、無事辿り着いた暁には、素敵な感動が待ってます。(写真はネタバレしない程度にちょっとだけ)あと、彫刻も素晴らしいです。本殿から離れて所に、竜の髭を愛でる謎の人物あり。
台風被害の復旧があまり進んでないようです。
袖ケ浦公園の近くにある神社です。道が狭いので、ご注意下さい。
延喜式式内神社というので、20210212に参拝させて頂きました。鳥居をくぐると石燈籠にまとわりついてる小さな狛犬たち、ニ頭一組、すごく可愛いらしい。文久ニ年と記されている。1862年?鳥居は、嘉永四年u003d1851年?160〜150年前のもの。大きな狛犬は、天保九年=1838年(台座と狛犬が一緒の場合)、と歴史を感じました。ただ本殿の方を見に行っておどろのが、本殿の奥の方の森林が伐採されたというより、朽ち果てたという表現があっている。何かゾットした。境内は、無人でしたが色々修復中でした。2019年の台風15号による被害とありました。自然の恐ろしさを感じました。神社の修復が無事に進みますようお祈りいたします。
初詣で行きました。神社自体は歴史も感じられる、凄くいいところです。ただ、初詣でお札や御守りが欲しかったのですが、売ってませんでした。
この辺で最も歴史のある神社のひとつ。境内の案内板は文字が掠れてほとんど読めませんが、式内社だそうです。まず目を引くのが灯籠の彫刻。一対の子獅子が寄りかかり、また龍が彫られています。向拝彫刻は色が派手。後で補修がてら塗られた可能性はありますが、市原市麻生原の山神社にある同じ作者(後藤傳吉郎)の龍も派手に塗られていたので、作者の特徴かもしれません。拝殿内の絵馬は大きくて迫力があります。絵馬は盗人に人気なので社務所に鍵かけてしまっといて欲しい気持ちもありますが…境内の片隅には東照宮があります。正面は獅子と龍、三方の胴羽目には龍・虎・鶴が人物とともに彫られています。境内で野良仕事していた地元の方に聞きましたが、作者は分からないとのことでした。屋根が破損してブルーシートがかけられていますが、これからも保護していただきたいです。
令和2年9月3日にお詣りしました。森の中の神社で風格があります。静かにゆったりお詣りできます。駐車場:あります。たちばな通りから、細い道に入り鳥居の前を過ぎて20mぐらい先、右側の空き地に停められます。東照宮があります。4面彫刻がほどこされていてりっぱです。境内には、75末社があります。御朱印:木更津の八剱八幡神社の兼務社で、八剱八幡神社にていただけます。境内の中は、木々でいっぱいだったと思いますが、昨年の台風の影響でしょうか、空間がたくさんになっています。東照宮の屋根にブルーシートがかけれれています。
綏靖天皇の御代に創建された延喜式内の古社で旧縣社で農耕の神・倉稲魂命など二柱を祀っている。飯富寺の背後に位置し、袖ヶ浦の豊かな田園を見下ろしている。よく整えられているようだが、20/04/26にお詣りしたときには、19年の台風被害の爪痕が残っているようにお見受けした。
| 名前 |
飽富神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0438-23-8881 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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飽富神社(あきとみじんじゃ)。千葉県袖ケ浦市飯富。式内社(小)、旧県社。主祭神:倉稻魂命【関係氏族】飫富氏資料によると、この神社は、平安時代初期に編集された「三代実録」という史書や、「延喜式」という法令集の中にすでにその名が記されている式内社で千年以上も前から存在した古社です。旧称を飫富(おおとみ)神社といい、県内では香取神宮・安房神社など十八社ありますが、君津地方では唯一のもので、歴史的価値の高い神社です。創建は、社伝によると第二代綏靖天皇元年(BC34)で、天皇の兄「神八井耳命」が創建したと伝えています。祭神の主神は「倉稲魂命」という稲の神、すなわち農業神で、古くから農民の信仰を集めてきました。古代この地区は海であったがその後、土地の隆起や小櫃川の土砂が堆積したりして、この入海は次第に潟となり、芦荻の茂る沼沢地となつていつた。そこへ、古墳時代の終り頃、有力なる首長(飫富氏)を中心とする集団が来つて定住し、この広大なる沼沢地を開墾し、生産力の大きな農地を造出したものと思われる。とあります。