松尾芭蕉が愛した養泉寺。
尾花沢観音の特徴
尾花沢市梺町にある天台宗の寺院です。
最上三十三観音第25番札所として知られています。
松尾芭蕉が滞在した歴史あるお寺です。
尾花沢観音お参りしてきました。書き置きの御朱印を、赤い旗のあるご自宅で頂けます。
小さな小さなお寺です。ただ芭蕉がここに滞在したと思うと、とてもとても感慨深い場所だと思います。尾花沢の街は芭蕉が訪れた時代と街の形がほとんど変わっていないので、当時を思って街を歩くと楽しいです。観光客は誰も歩いていない、、、ことも、また、よいんですよね。
天台宗 弘誓山養泉寺は、最上三十三観音の第二十五番札所 尾花沢であり、奥の細道三十三霊場の第十三番札所となってます。奥の細道行脚で 尾花沢の豪商であり俳人であった島田屋 鈴木清風を訪ねた際に、この寺で七日間滞在したそうです。なので境内には松尾芭蕉ゆかりの句碑『涼し塚』(涼しさを我宿にしてねまるなり)が在りました。2月の訪問なのでガッチリ雪囲いされてるものの、2024年は暖冬で ほとんど雪がない状態でした。
雰囲気のあるお寺。お寺のすぐ下の坂から見る夕陽がきれいでした。田んぼに水が張ってあったら、超絶景スポットだと思いました。
尾花沢市梺町にある天台宗の寺院です。御本尊は聖観世音菩薩。慈覚大師がこの地方を訪れた際、害虫の被害で悩む農民の窮地を知り、その駆除を祈願して観世音を安置した。これが尾花沢観音の始まりと伝えられます。養泉寺は、俳人・松尾芭蕉と弟子・會良が逗留した寺として有名で「涼しさを我宿にしてねまるなり」の句碑が境内にあります。有り難く、最上三十三観音霊場第25番札所の御朱印を頂きました。
10/2(日)晴天むしろ暑いくらい。今日は尾花沢を巡りにまず養泉寺さんに。さすがに日曜は巡礼の方が大勢ですね。後からお参りする方のため、御詠歌を簡単に唱えてお参りしました。
養泉寺、最上巡礼の番号では25番になります。本堂は明治28年に火災にあい、30年に再建されました。元禄2年におくのほそ道の松尾芭蕉が尾花沢に十泊したうちの一週間過ごした寺になります。観音様をお参りして、天気も良く時間があれば寺より坂をちょっと下ると北西に鳥海山、西に葉山、月山が見える。また、本堂手前右手には、松尾芭蕉の句碑、すずし塚もあるお参りと歴史を堪能してみてください。
仁王像の横にお馬さんがいました。作家の森村誠一さんも訪れたそうです。奥の細道で松尾芭蕉の石碑もありました。2022.7.28
最上三十三観音の参拝でお伺いしました。コロナウィルス感染症の影響で二年間延期されていた霊場御本尊の御開帳(観音堂の観音様)です。弘誓山養泉寺といい天台宗のお寺で、観音霊場第二十五番札所になります。観音堂の中でお勤めをしました、別称で尾花沢観音と呼ばれています。元禄二年(1689年)五月十七日に堺田を出立した松尾芭蕉は、山刀伐峠を越えて尾花沢へ入り鈴木清風を訪ねた。芭蕉は清風の自宅で三日間の厚遇を受け、その後月山と鳥海山を望む養泉寺に宿を取り七日間もの長い時間を寛いで二つの句をこの地で残している。観音堂に祀られている御本尊は聖観世音菩薩で、慈覚大師の作と伝わり六沢観音と同じ木から作られたといわれる。別当の養泉寺は東叡山寛永寺(江戸上野)の直系のお寺で、維新前までは相当の収入もありたいへん格式の高い寺であったが、明治維新の改革で田畑が没収されたため一時は観音堂の堂守のようになってしまった。明治二十八年六月二十日に起きた尾花沢大火の際に、旧観音堂は焼失してしまったが御本尊は別当が持ち出したため無事であった。明治三十年七月に観音堂は再建され、盛大な遷座式典が行われた。
| 名前 |
尾花沢観音 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0237-22-0669 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 7:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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天台宗養泉寺 尾花沢観音です。最上三十三観音霊場の札所になっているようです。かつて松尾芭蕉とその弟子河合曾良がおくのほそ道の行脚の際このお寺に七日滞在したという歴史があるようです。境内には涼し塚と呼ばれる芭蕉の句に因んだ句碑もありました。