飛島村の礎を感じる場所。
奥田翁碑の特徴
日本一の金持ち自治体である飛島村の歴史的背景が感じられる場所です。
地元の開発に尽力した人の石碑が建てられているという重要な史跡です。
本正寺北に位置しており、アクセスが非常に便利な場所にあります。
なるほどなー地元の開発及び発展に尽力した人の石碑か日本一の金持ち自治体である飛島村の礎を築いたのはこの人やねんな!確かにそりゃすごいわ。
| 名前 |
奥田翁碑 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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本正寺北にに近接。とても綺麗に維持・管理されている石碑です。※説明板が建立されていましたので説明文を引用しご紹介します。【奥田翁碑】奥田翁とは、奥田重三郎のこと。号を栖霞と称し、尾州海東郡鍋蓋新田(蟹江町鍋蓋新田)の生まれ。幼いころから読書を好み、向学心に燃え、藩儒増田紫陽の門かとなって、学問に励んだ。大河内庄五郎、兄の重助らと共に、明治十二年に完成した新政成の開拓事業に参加、この地に移った。農業と学問とを両立させた篤農家であり、文化人であり村人から深く敬愛された。子息啓次郎は、明治四十三年にこの碑を建てたが、彼は飛島村長や愛知県会議員として、地元の発展に尽力している。彼の長男彧(いく)もまた岐阜大学教授で、農学博士だったが、象牙の塔にこもらず、村内に研究サークルを作り、有為な農業経営者の育成に力を注いだ。この碑には、新田を築き、水とたたかい、そしてまた学問を愛し、苦難に耐えて豊穣の地の基盤を形成してきた奥田家三代の魂が宿る。平成八年七月四日 飛島村教育委員会と、なっています。 素晴らしいですね!