八百屋お七の歴史を訪ねて。
鈴ヶ森刑場跡の特徴
江戸時代から続く鈴ヶ森刑場の歴史的スポットです。
有名な八百屋お七が火あぶりにされた場所として知られています。
夕方以降は静かな雰囲気があり、神秘的な体験ができます。
旧東海道沿いにあります。1651年開設~1871年(明治4年)に閉鎖されるまで、10万人~20万人が処刑されたと言われている。
思った以上に小さい史跡でしたが、処刑台となった石がそのまま置かれており、歴史の重みを間近で感じられます。
大森海岸駅から徒歩5分ぐらいでしょうか、歩道橋渡りと目の前にあります。タイミングが悪かったのかお寺の人が沢山いてあまり近づけなかった。
江戸時代の刑場の跡です。石碑やお墓、磔の木を立てる石があります。旧東海道と第一京浜の合流地点にあります。
品川区南大井。1651年に開設された刑場です。江戸の南の入り口(東海道)にあった鈴ヶ森刑場に対して、江戸の北の入り口(日光街道)には小塚原刑場があり、それに現在の八王子市にあった大和田刑場を加えて江戸三大刑場と呼ばれました。詳細な記録はありませんが、鈴ヶ森刑場では閉鎖される1871年まで10万人から20万人以上が処刑されたと言われ、火炙りや磔の他、当時は刑場は海沿いにあったことから水磔による処刑も行われていたと言われています。当時は今のような司法制度はありませんので、処刑された人の中には無実の人もいたのかもしれません。多くの怨恨に満ちた場所であったことでしょう。刑場跡に隣接している大経寺というお寺は、刑場の開設とともに創建されたお寺で、申し訳程度の小さな堂宇で刑死者を密かに供養していたそうです。史跡内にある大きな題目供養塔は1741年に建てられたもので、南千住の小塚原刑場跡にも同じものがありますね。この刑場で最初に処刑された者は、慶安の変の首謀者の一人で江戸幕府の転覆を図ったと言われている丸橋忠弥であると言われています。他にも平井権八、八百屋お七、大岡越前に裁かれた白子屋お熊など、江戸時代の世相を賑わせた名だたる(?)人達がこの刑場で生涯を終えています。刑場内には火炙台や磔台、首洗いの井戸が残されており、罪人たちがどのような最後を迎えたのかが少しでも想像できるような説明書きがありますが、親切だと思っていいのかどうか。狭くてひっそりとした場所でありましたが、とても見応えのある史跡でした。
処刑場跡だけど、しながわ百景です。心霊スポットでも何でもないと思います。文化財を大切に。
旧東海道沿いにあった鈴ヶ森刑場(御仕置)跡です。処刑に使われた基礎石の穴などが残っていました。隣接する大経寺は受刑者を供養していたそうです。
東京都品川区にある、鈴ヶ森刑場跡へいきました。旧東海道沿いを散歩している際に見つけました。処刑をしていた場所のようで、その際の石や使っていた井戸が残っています。歴史を感じられるので散歩におすすめです。
数年ぶりに訪れました。有名な場所であり以前とは変わっていました、訪れる再、京急大森海岸駅で下車、徒歩10分です。
| 名前 |
鈴ヶ森刑場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3762-7267 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
〒140-0013 東京都品川区南大井2丁目5−6 鈴森山大経寺 |
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京急大森海岸駅から徒歩で7~8分程度。国道15号線脇です。日蓮宗大経寺の境内にあり、処刑に使用したといわれる台石や首洗いの井戸などが残されています。様々な供養塔も建てられています。井原西鶴の『好色五人女』に出てくるお七は放火の罪で捕縛され、ここで火あぶりにされたとのことです(火炙台)。