綱島温泉の歴史、ラヂウム霊泉の感動。
ラヂウム霊泉湧出記念碑の特徴
綱島温泉の一級の史跡として存在感がある石碑です。
もともと綱島街道と旧綱島街道の分岐点に位置していました。
2018年12月に撤去され、無くなってしまったことが心配されました。
危うくなくなるですね。もっと保護できれば嬉しいですが。
綱島温泉にとっては一級の史跡である。当時の市長の揮毫もさることながら、裏面に関係者の名前が並ぶのは壮観だ。風化の影響もなく状態も素晴らしい。撤去を阻止した地元住民を称賛したい。
元々は少し南の旧綱島街道と綱島街道の二又のところにあった民家の敷地にあった石碑。その民家を取り壊すことになり、この石碑も廃棄と書かれたガムテープが貼られて放っておかれたところを地元の方が見つけ、報告を受けた地区長さんが慌ててリアカーで回収したとのこと。因みにあまりにその石碑が重すぎて、リアカーはすぐパンクしてしまったそうです。その辺りの話は「横浜ミストリー」という、横浜のケーブルテレビ制作の番組で詳しく説明されています。
ラヂウム霊泉湧出記念碑私が、この石碑がなくなっていることに気付いたのは、2019年頃だったと思います。石碑は、大綱橋周辺が温泉地であったことを記録に残す記念碑でした。私が石碑がないことに気付けたのは、その頃その場所では新しい建物を建設中だったからです。記念碑なのだから、当然すぐ近くに移動したのだろうと思い、建設現場の周辺を探索しましたが見当たりませんでした。まさか捨てられたのでは、と不安がよぎりました。その後かなりたってから大綱橋の前を通ると、その石碑がありました。石碑は綺麗になり日当たりのいい場所のせいか、石碑の文字が読みやすくなってました。それから石碑の噂や情報を収集し話をまとめると、石碑は2018年12月に一旦撤去され、2019年2月に大綱橋のたもとに移築再建された、ということでした。石碑の保存に尽力された方々に感謝します。
綱島温泉の痕跡。
感動しました。30年ほど前、まだ旅館が残っていたと記憶しています。それらが消えた今、この石碑がその証として残されて良かったと思います。
もともと設置してあったところから無くなっていて、心配していました。復活して良かったです。
あまりにも素っ気ない扱い。かつては綱島温泉で賑わった?かどうかは定かではありませんが、周りの雑草むしりした方が良いかもです。
元々、現在の設置場所から南へ50mの綱島街道と旧綱島街道の分岐点にあったが、設置場所の建物の解体に伴い2018年12月に撤去。解体業者が石碑を破棄しようとしていたのを、県議会議員の秘書の方が見つけて回収し、現在の場所へ移設された。石碑の後ろに草が生えいる写真が元々の場所にあった時の写真です。
| 名前 |
ラヂウム霊泉湧出記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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かつて、横浜の綱島温泉は、都会の喧騒から逃れる楽園として栄え、その中心にはラジウム霊泉湧出記念碑が静かに佇んでいました。この石碑は、地元の歴史を刻む証であり、温泉街の繁栄を語る無言の物語を持っていました。しかし、時の流れと共に綱島の風景は変わり、新しい世界が古い記憶を押し流していきました。石碑は忘れ去られ、失われる運命に瀕していました。しかし、その危機に、地域の人々の情熱が火をつけました。石碑の価値を知る一部の住民が立ち上がり、歴史を守るために奔走しました。彼らの努力により、石碑は間一髪で破壊を免れ、新たな場所へと移されました。今、石碑は再び大綱橋のたもとで、過去と現在をつなぐ架け橋として静かに時を刻んでいます。この記念碑はただの石ではなく、地域のアイデンティティーを象徴する存在です。失われかけた歴史を救い出した地域の絆は、新しい時代にもその物語を語り続けるでしょう。綱島温泉の栄華を見守り続けたラジウム霊泉湧出記念碑は、今も横浜の記憶の中で生き続けています。