歴史を感じる飯田家の石碑、探検しよう!
来迎寺の特徴
石碑に初願人 飯田助太夫と記載され、歴史の深さを感じられます。
明治時代からの廃絶後も、お堂と石仏が今も残っています。
飯田住宅の主、飯田様の祖先と関わりがある特別な寺です。
近く飯田家の墓石や石碑石仏などゴチャゴチャして面白い。トタン屋根が大分傷んできているので、いつまで存続するか?今から40年前には、子供を集めて勉強を教えていたようだ。
2024/3/15初めて見ると、なぜ市街地の中に廃墟が有るのかと思う。地図を見ると、ここは綱島の森の外れ。当時在った寺が廃寺になり、世話されず何年も経ったと考えると、納得が行く。正直、見るも無残だ。境内(?)にはいくつかの石塔が有るので、入口の方から見ていく。①六字名号塔(平頂方柱/文字)「南無阿弥陀仏」ー側面の文字読めず。②念佛供養塔(平頂方柱/文字)「百万遍供養塔 (善)光(寺)・天保三年(卯)十(一)月x日・九世 観道 文化十酉正月(三)日〜十二世 覺蓮」ー天保3年(1,832年)塔建立。文化10年(1,827年)は、前住職の没年を記したものか。ブロック塀沿いには③地蔵尊(光背舟形/地蔵立像)ー詳細不明。④庚申塔(駒形板碑状/日月/青面金剛/三猿)「(延宝八庚申天十二月吉日)」ー1,860年建立。( )ピンぼけにて資料引用。本堂前には、⑤地蔵尊(円頂方形/地蔵立像)ー詳細不明。⑥庚申塔(駒形板碑状/日月/聖観音/三猿)「元禄五壬申年正月吉日」ー1,692年建立。⑦地蔵尊?(円頂方形/立像)ー詳細不明。更に左には、⑧石塔(尖頂方柱/文字)「天地神祓時中衛護 北綱嶌講中・發願主 飯田助太夫〜伊勢太々講連名 座間/吉原/小嶌〜大豆戸村/久地村/高田村/當所(2名)〜世話人(3名)」・文久元辛酉年九月xx」ー1,861年建立。本堂横道路側には、⑨石祠「水神宮・明治二十年亥九月造之」ー1,887年建立。➉歳神塔(自然石/板状/文字)「歳神塔 明治廿一年春華草蓮富)・願主 飯田助太夫 氏子中」ー1,888年建立。
石碑に「初願人 飯田助太夫」と記載されているので、近くの飯田住宅の主、飯田様の祖先が関係してた寺なのでしょうね。政治なのか金の問題なのか放置され、ほぼ廃墟状態。
かなりの歴史を感じさせてくれる建物ですが、残念です。
昔から無住のお寺で、小学生の頃よりさらに荒れてきたように思います。
空き寺のようです。 後継者が現れなければ このまま消滅してしまいそうで残念です。
明治時代ころから廃絶され、今はお堂と少しの石仏が残るのみ。
| 名前 |
来迎寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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こちらは2025年03月20日の訪問となります。最寄りは綱島駅です。浄土宗のお寺で1624年開山~1873年に廃寺願が提出されていまして、つまり廃寺でしょうか。現在は同じ浄土宗の長福院という寺が移転してる(宗教法人登録)そうですが……やはり開いてないように見えます。石塔類はいずれも年代物です。青空と廃墟感のミスマッチが絶妙ですね。