住宅街に残る勝海舟の足跡。
神奈川台場跡石垣の特徴
幕末の防衛拠点、勝海舟設計の台場跡です。
住宅街にひっそりと存在する歴史的な石垣。
150年以上前の石垣が残る貴重な史跡です。
この史跡は、江戸時代後期に建設された沿岸砲台、旧神奈川台場跡地です。1860年(安政7年)、徳川幕府の命により勝海舟の設計で築かれた神奈川台場は、湾内に延びる扇形の要塞で、横浜港の防衛を担っていました。台場は1899年に廃止され、その後の埋め立てにより、その構造物の大部分は地中に埋もれてしまいました。その後の考古学的調査により、地下にほぼ完全な状態で保存されていることが確認されています。
勝海舟の指示によりできた砲台跡地大正10年まで残っていたとのこと今は碑石と石垣の一部が残っています!
幕末の横浜開港に伴い、現在の象の鼻パーク〜神奈川県庁が幕府の税関としての神奈川運上所が開かれると、関内地区の外国人居留地化に対応して建造された台場跡。勝海舟が設計、小笠原家による建造。近くの青木城址の一部の権現山古城の城山を削り出し、その土石で海を埋め立て神奈川台場が建設された。その土取りにより室町時代の権現山城主要部は消え去り、今の京急神奈川駅や鉄道線路と国道1号線の谷地形が出来た。尚、権現山城は小田原北条家により改修され青木城と城名を変え、主要部は本覚寺を含む台町の丘に移された、権現山城から大幅に拡張された様だ。
神奈川台場跡地の石碑と石垣が住宅街の一角に突然ある感じです。見に行く時は周囲のご迷惑にならないように。
こちらは2024年04月02日の訪問となります。横浜港の防衛の為に開港時、作られたのですがその目的で撃たれた事はなく、外交儀礼のための礼砲・祝砲として発射するために利用されました。竣工は1860年。設計は勝海舟、現場の総指揮は中川翔子さんの御先祖さんがされてます。大正時代以降、周辺が埋め立てられていき今は石垣の一部を残すのみとなっています。以前、反対側の星野町公園側からは紹介しましたがこちらには説明板もあります。上から見ると星型の台場だったそうで五稜郭含め国内に三例しかない貴重な形の遺構でしたそうで。
2023年7月23日日曜日訪問しました。民家の裏を覗く感じで石垣が見れます。
幕末の横浜開港の翌年の1860年に開港場の対岸に有名な品川台場同様、防衛のため勝海舟の設計で造られたといわれていまふ。羽を広げたコウモリのような形をしている事から「蝙蝠台場」とも呼ばれたそうですが、今は地中に埋まっています。現在は台場公園として整備され、特に遺構は見られませんが解説板が設置されています。駐車場はありませんが近くにコインパークがいくつかあります。
裏路地にひっそりたたずむ史跡があります案内図などありませんがマップで直ぐに解ります簡単な説明書きはあり概略は把握出来ましたなかなか…良いものですよ!
JR東神奈川駅から海方面?コットンハーバー方面?の立地ですが、どこにあるのかなかなか迷います。ただの公園で何があるというわけではありませんが、その昔、黒船来航の日本をここから守っていたかと思うと、一度は訪れておきたい場所です。
| 名前 |
神奈川台場跡石垣 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
045-371-3284 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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塔などが無ければ素通りしてしまいそうですが、歴史の一角を見ることができました。