明治の遺構、横浜の歴史散策。
開通合名会社の煉瓦遺構の特徴
明治時代に建てられた社屋の一部が現存しています。
補強された煉瓦壁だけの小さな遺構が魅力的です。
みなと大通り沿いにあり、アクセスも便利です。
明治時代に建てられたと推定される開通合名会社の社屋の一部であると考えられています。建物は、大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大展災で大部分が倒しましたが、その一部が震災後の復興建築の内部に奇跡的に残されていました。
こちらは2024年09月02日の訪問となります。神奈川県庁そばにある、かつてあった会社の遺構です。開通~とは横浜港から陸上げされる貨物の通関・発送取扱事務を営んでいた会社だそうです。1923年の関東大震災で建物は崩壊するもこの部分だけ奇跡的に発掘されて今に至るそうで、後ろの写真は1905年頃とされます。
普通だったら解体してしまう壁2枚の煉瓦建築遺構を補強、保存、展示してくれる行政と、地権者に感謝します。
廃墟瓦礫も史跡とは、さすが横浜ですね!
地味だけど興味深い。
壁の部分だけの煉瓦遺構は、明治時代に建てられたと推定される「開通合名会社」の社屋の一部であると考えられている。
神奈川県庁と神奈川県庁新庁舎の間を通るみなと大通り沿いにあります。ここに設置されている煉瓦遺跡は、ぱっと見ただの崩れたレンガの壁にしか見えませんが、これもちゃんとした横浜の歴史的名所の1つです。遺構前に設置されている説明文を読むと、「この遺構は、明治時代に建てられたと推定される開通合名会社の社屋の一部であると考えられています。建物は、大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災で大部分が倒壊しましたが、曽於の一部が震災後の復興建築の内部に奇跡的に残されていました。平成26年(2014年)、建物の解体時に発掘されたこの遺構は、所有者の意向により、横浜関内地域の日本人商社建築の記録と、関東大震災の記憶を現在に伝える貴重な歴史的遺産として現地に保存されることになりました。」とありました。
ジャックの塔(横浜市開港記念館会館)前にあり。
昔の煉瓦は雰囲気があります。当時の様子を思い浮かべて楽しめます。
| 名前 |
開通合名会社の煉瓦遺構 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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駐車場の壁みたいに見えるので見過ごしてしまいます。関東大震災の激しさを伝える貴重な遺構です。