横浜が誇る歯科発祥の地。
我国西洋歯科医学 発祥の地の特徴
ウィリアム・クラーク・イーストレイクが開設した歯科診療所の歴史を体感できる場所です。
125周年を記念して建てられた碑が、横浜の発祥の地としての役割を果たしています。
歯科医学における横浜の多様な発祥に関する貴重な説明板が設置されています。
日本近代歯科医学の父 ウィリアム・C・イーストレイクを顕彰する碑石。この石碑は,イーストレイクが歯科医院を開業した地に設置されたものであった。ただし,当地は実際の発祥地ではない。イーストレイクは山下居留地108番地(中区山下町)で開業したので,そちらが正しい発祥地となる。元々はそちらにあったが,理由あってこちらに移設されたのだという。イーストレイクは,少なくとも,慶應元年(1865年)から翌年(1866年)まで,歯科医院を開業していたことが分かっている。これ以前に,西洋歯科医学医院を開業した人物は,確認されていない。なお,文政六年(1823年)頃,フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが西洋の抜歯器具を本邦に持ち込んだ。こちらの方が40年近く早い。それゆえに,ネット上,「長崎が西洋歯科医学の発祥地ではないのか」という声が見られた。しかし,シーボルトは外科医であり,近代的歯科医学の専門的教育を受けておらず,また,日本人歯科医師となる後継者を育てていない。他方,イーストレイクは,正規の歯科医学教育を受けており,長谷川保,安藤二蔵,佐藤重という後継者を育てている。つまり,コンビニよりも多いと言われている現在の歯科医院の源流は,どちらかというとイーストレイクの方なのであるから,「彼が日本最古の西洋歯科医学の父である」という説明に大きな間違いはないものと思われる。勿論,シーボルトの様な西洋医学を伝導した先駆者が居たからこそ,西洋的な歯科医学が知識が急速に受け入れられる土壌が出来上がっていたのであり,この話は,シーボルトの業績を貶めるものではない。近因ではなく,遠因に留まるというだけだ。
神奈川県駐労会館の前にあったのを、こちらに移動させたものなので、正確には、ここが発祥の地ではない。博物学者のイーストレーキという歯科医が東洋の昆虫採集のため来日し、生活の手段として日本でも歯医者さんを始めた。そのときに、日本人歯科医師の育成にも尽力したそう。
歯科医師として横浜に来日した米国人のウィリアムス・イーストレーキ師が 3度目に来日して、明治44年(1911年)に外国人居留地108番に診療所を開設したとのことです。 この碑は以前は、横浜中華街の近くの駐労会館角にたてられていました。
横浜は発祥多し。
長洲さんの名があった。
立派な石碑が建っています。
石碑と説明板があります。
| 名前 |
我国西洋歯科医学 発祥の地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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「我国西洋歯科医学発祥の地」の碑は、横浜の居留地で歯科診療所を開設した米国人ウィリアム・クラーク・イーストレイクの来浜125周年と神奈川県歯科医学会創立60周年を記念して建てられたものです。イーストレイクは1865年(慶応元年)9月に来日し、居留地108番地で歯科診療所を開業しました。