江戸の風情漂う保土ヶ谷宿本陣跡。
保土ケ谷宿(苅部)本陣跡の特徴
保土ヶ谷宿は苅部家が当主を務めていた本陣跡です。
慶長6年に設置され、歴史的な重要性があります。
交通量の多い国道沿いに、立派な石碑が残されています。
神奈川宿から5キロないくらいにある保土ヶ谷宿、宿どうしが近いのは、かつては山がちな地形だったからなのか、江戸の手前で混雑したから複数の宿が必要だったのか、いろいろ想像しますね。このあたりからは、ちょいと自然も多く、お店も減り、閑静な住宅街が広がっています。少し戸塚宿方面へ歩くと、かつての旅籠屋が現存、道沿いあり、当時に思いを馳せることができます。
宿場にある旅人が泊まる施設。本陣は天皇陛下のお使い(勅使)や大名などの身分の高い人が泊まる場所です。屋根付きの門が残っています。
こちらは2024年06月03日の訪問となります。かつて参勤交代の宿泊用に保土ケ谷宿(宿屋街)に設けられた三つの本陣、その一つの門がこちらです。本陣というのは”偉い人用の宿屋”的なもので、参勤交代は大名などを一年置きに江戸に住まわせたりした制度です(目的は諸説あり)。江戸と自領の頻繁な往復、地獄ね。
フェンスの向こうにあるのは当時の門の一部だろうか。チェーンで繋がれていた。こちらも説明がイラスト入りなのは良い。石碑は大きさの割には存在感が薄すぎる。なぜ、こんなにも低くしたのか。状態も悪く背面はかなり読みにくくなっている。
保土ヶ谷宿で最も有力な家だった苅部家が、この本陣の当主を務めておられたようです。参勤交代の際はこの建物含めた奥に大名や幕府の役人が宿泊されていたようです。歴史ある建物なのでもう少し保全するなり維持活動されても良いのでは、と感じました♪
慶長6年(1601)武蔵国橘樹郡程ヶ谷(現・神奈川県横浜市保土ケ谷区)に置かれました。保土ヶ谷本陣・苅部氏の祖先は後北条氏の家臣で、武蔵国・鉢形城の城代家老を務めていた苅部豊前守康則です。保土ヶ谷宿の本陣・名主・問屋の三役を拝命、1870年(明治3年)に本陣が廃止となるまでの約270年11代にわたり三役を務め、歴代当主が苅部清兵衛を名乗ってきました。明治元年の明治天皇東幸時に姓を「苅部」から「軽部」に改称、現在も同地に居住しています。ここ、軽部さんのお宅なんですね。
本陣跡。歴史ある建物が建っていますが本陣として使っていたものではなさそうです。軽部家の方が今でも裏の敷地にお住まいのようです。
交通量が多い国道沿いに本陣跡が残っているのは素晴らしいですね。
メルマガ門らしきものが有ります。策に囲われていますし、国道一号線の交通量が多いので、情緒も有りませんね。
| 名前 |
保土ケ谷宿(苅部)本陣跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
〒240-0021 神奈川県横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町1丁目68 |
周辺のオススメ
旧東海道 保土ヶ谷宿 本陣跡です。保土ヶ谷宿は 日本橋から 4番目の宿場になります。昔の記録を見ると 江戸を出発して 1日目の宿泊は戸塚というパターンが多いようですね。