米子城の絶景を登城しよう。
米子城跡の特徴
吉川広家が築城した歴史ある米子城址です。
伯耆地方最大級の規模を誇る城郭跡です。
四方に広がる絶景が魅力のスポットです。
夕陽処を探して、ヒットしました米子城♪早速、登城🏯です。城跡も想像以上に素晴らしい❗️どうやって山頂に据付られたのかと思う程、整えられた石垣群❗️美しい✨東に大山、眼下に中海、眺望も言わずもがなでした。大満足です^_^ありがとうございました😊
城好きな子供と家族で行きました。三の丸の駐車場から登りました。天守はありませんが、頂上の天守跡まで頑張って登ると凄く良い景色が望めます。大山も晴れていれば綺麗に見えます。ただ!登るのそこそこ疲れます…。ご年配の方はゆっくり休憩しながら行くことをオススメします。雨の日は危険かも。
米子城跡(国指定史跡)は、JR米子駅の西1.4kmほどの鳥取県米子市久米町の丘陵地にある城跡です。豊臣秀吉の天下統一後に東出雲・隠岐・西伯耆の領主となった吉川広家(1561〜1625年)が良港に隣接し領国の中心に位置するこの地域に築城を始めました。江戸時代初期には伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後は鳥取藩池田家の重要な支城となりました。戦国時代には飯山の頂上に、南北約85m、東西約35mの郭を構え、東と北に野面積みで高さ2m前後の石垣を各2段設けていました。門が3か所あり、現在は削平されているが、南が1段高く、建物の痕跡があったといいます。江戸時代には湊山に新たに築かれ、山頂の本丸、北側の中腹に二ノ丸、その下に三ノ丸を置き、戦国期に米子城の主郭であった飯山は出丸として利用されました。四重天守(大天守)と四重櫓(小天守)、30棟の櫓と20棟の門が建てられ、城域の周囲に廻した堀には海水をひき入れていました。昭和26年(1951年)に都市計画法により湊山公園の一部となりました。本丸は、湊山山頂に位置し、西伯耆から出雲の平野部や日本海、中海、島根半島、隠岐、中国山地が一望できます。大天守や四重櫓、二重櫓、多聞櫓、鉄御門(くろがねごもん)などが置かれました。なお、本丸までに番所跡や遠見櫓(とおみやぐら)跡などが残っています。天守は、慶長5年(1600年)に城主となった中村一忠が吉川広家の独立式望楼型3重4階の天守の横に建てた独立式望楼型4重5階の天守で、明治11年(1878年)に撮影された外観の古写真が残っています。初重平面は10間×8間、2重目も同じ規模で、3重目は7間×6間、4重目と5重目は3間×2間半を測ります。外観は2重目を大入母屋破風と千鳥破風・軒唐破風、3重目には入母屋破風と千鳥破風、最上重には軒唐破風がありました。5階には望楼部の外廻り縁高欄を覆ったと見られている板庇があり、特異な外観となっていました。高さは21mはあったと考えられており、本城である鳥取城の天守(2重2階)や三階櫓をも凌いていました。吉川広家が天守台を建造中、何度も石垣が崩れて工事が難航し、そこで人柱を立てることとなり、城下に住む美人の評判が高かった「お久米(おくめ)」という娘が密かに選ばれました。祭りの最中におくめは盆踊りの輪の中から突然さらわれて埋められ人柱にされました。その後、工事は順調に進みましたが、米子城下ではしばらく盆踊りが行われなくなり、米子城は別名「久米城」と呼ばれるようになったという伝説があります。『旧小原家長屋門(きゅうおはらけながやもん:米子市指定有形文化財)』は、米子城二の丸跡(現在、市営湊山庭球場となっている場所)の南東側にあり、城下町で唯一残る武家屋敷の建物です。小原家は、鳥取藩の米子城預かりであった主席家老の荒尾氏の家臣で100~150石取りの中級武士でした。小原家の屋敷は西町にありましたが、長屋門は昭和28年(1953年)に米子市に寄贈され、米子城跡に移築保存されました。以後昭和59年(1984年)までの約30年間、米子市立山陰歴史館として利用されていました。長屋門とは家臣などを住まわせるため、武家屋敷の前面に長屋を設け、その一部を開けて門とした建物です。この長屋門は桁行20.38m、梁間4.03m、木造瓦葺平屋建て入母屋造りで、入り口正面向かって右側に一室、左側に二室あります。左側奥の部屋には、物置用に造られたと思われる屋根裏の中二階があります。窓の部分は出窓づくりの古い作りが残されています。近世の城下町米子をしのばせる貴重な建造物です。
三の丸広場の駐車場から徒歩で15分ほどで天守台のある山頂に。なかなかの勾配の階段なので結構たいへん。山頂は小綺麗に整備されていて、今風の建物が何も無いのがいい。天守台にも柵が無いので素晴らしい大パノラマを堪能できる。米子の街並み、中海、日本海、大山。結構な数の城趾を訪れているが、ここの眺望はトップランク。仙台城や肥前名護屋城にも負けていない。本当に一見の価値ありです。
大山を登るために米子市へ来ました。ちょうど、ダイヤモンド大山がこの米子城跡から望めると知り、登山前に寄ってみました😀とても良い天気で、大山の姿をしっかりと見る事ができ、しかも日の出もバッチリ見れました♪とても良い経験をさせてもらいました。黄色のライトアップも幻想的でよかったです!
元々、吉川広家が湊山を中心に築城したのが米子城の始まりと言われます。関ヶ原の戦いの後に吉川広家は岩国に転封、駿府から伯耆国18万石に転封となった中村一忠によって現在の形の米子城が完成されたと伝わります。5重の天守閣と4重の副天守閣を持ち山陰一の名城と言われただけあり見事な石垣に圧巻されました。はっきり言って行く前はそんなに期待して行った訳ではないのですが素晴らしい石垣に100名城でも遜色のない名城と感じました。
2024年9月平日の早朝近隣のホテルに宿泊、前夜のお酒が少し残り、朝食をいただいて、体重超過も気になることから、お城でも登ってみようか!枡形登城口からチャレンジ。ビジネスシューズで登り始め、石段は不揃いで安定しない! これは気を使う。直ぐに大量の汗、息は切れ切れ、休憩の連続。二ノ丸、番所跡、四重櫓、鉄門跡くろかねあと、天守台に到着!標高90メートル、360°パノラマ!海に臨む天空の城、城下町、大山、中海などの眺望を満喫出来ます。しばし落ち着いて、下山。水の手御門、内膳丸、登り石垣などを確認しながら、無事に下山しました。ホテルに帰り着き、汗でビチャビチャになった服をすべて脱ぎ、シャワー必至です。
石垣がしっかり積まれていて、城址としてとてもよいと思いました。上までの道が数カ所工事中で、わかりにくくぐるぐる回ってしまいました。メインの駐車場にはきれいなトイレ、休憩所もあってよかったです。上からの眺めはとてもよいです。大山もよく見えました。暑かったけれど、風が通ってよかったです。
鳥取県の伯耆地方では最大級の規模を誇る城郭の跡地で、続100名城に指定されている。米子駅からだと入城口まで徒歩20分ほどかかる(バスは本数が多くないのでレンタサイクル推奨)。この城の魅力として、大小の天守閣を備えていた点にある。その名残が2つの天守台跡に偲ばれる(天守閣自体は倒幕後に木材供出のために二束三文で取り壊されたとか…)。大天守台からは米子の町並みや大山のみならず、中海を眺めることができ、条件が良ければ夕日が沈むところを拝めるようだ(訪問した時はあいにくの曇り空だったが…)。登城する道もほとんど獣道で足元に常に気を付ける必要があるが、登りごたえはあるし、目の当たりにする石垣の数々には感動せずにはいられない。入城口から本丸まではゆっくり歩いて20分前後かかった。気を付けるべき点として、登城道は灯りが一切無いので、自己責任で懐中電灯などの備えが必要である。国宝松江城や月山富田城の陰に隠れがちだが、この米子城も堂々とした名城である。歴史やお城好きは登城する価値があるのではないかと思う。
| 名前 |
米子城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0859-23-5436 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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町中のちょっとした山登りになります。駐車場にたどり着くまで少々心配になりましたが、鳥取大学医学部附属病院を横目に進むと、登城口のすぐ近くに駐車場がありました。三の丸番所から行った方が正門っぽかったかもしれません。割と急な坂道を登っていくと天守跡が二つあります。ツインタワーが現存していたら格好良かったでしょうね。帰りは少し道をそれたらいつの間にか外周をぐるっと回って四国八十八か所石仏巡りをしていました。