奥沢城跡で歴史に触れる。
奥沢城跡の特徴
都心に立地しながらも、良好な土塁遺構が残る奥沢城です。
九品仏駅近くのお寺の内にあり、歴史を感じる場所です。
1532年頃に築城され、戦国時代の出城の役目を果たしました。
今は九品仏浄真寺となっている「奥澤城跡」。と言っても…遺構はかろうじて土塁?という盛り土のみです。築城年は天文~永禄年間(1532−1570)室町時代の後期。築城主は吉良頼康。主な在城主は大平氏です。城は豊臣秀吉の小田原討伐後に廃城となりました。そして後の江戸時代中期の1678年に九品仏浄真寺が開かれました。因みに築城主の吉良氏の出自・本姓は源氏。清和源氏の足利義氏流。城跡というよりは寺として見応えが有ります。
都心ながらお寺のおかげもあって開発を免れ、非常に良好な土塁遺構が残っています。
てくたくぶっく(九品仏コース)30番仁王門の南側土塁の傍に石標あります。
奥沢城は、戦国時代世田谷城の出城の役目をして、吉良頼康により築かれ、吉良氏の家臣大平氏が城主となりました。小田原攻めの際落城しました。
土塁址が残存している。
戦国時代まではお城。ここがお寺になって残された。九品仏。
吉良氏によって築かれたと言われる平城。世田谷城の出城として用いられたが、小田原征伐の後廃城となった。台地上の九品仏浄真寺境内に方形の郭跡が認められる。
鐘楼の脇に碑があります。
九品仏駅の九品仏 浄真寺内に有り、1532~1555年頃に築城され、世田谷城(世田谷区豪徳寺の世田谷城阯公園に有る)の出城として使われていたらしい。室町時代の頃です。
| 名前 |
奥沢城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 6:00~16:30 |
| HP |
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/106/152/d00128556.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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天文 ~永禄年間頃に吉良頼康により築かれ、家臣の大平氏が守ったが天正18年(1590年)小田原征伐の後廃城となった奥沢城(現 浄真寺境内)やはり城跡の痕跡は土塁しか残って居ない濠跡と思われる場所は埋め立てられて道路になっているしつまらないね武田氏の躑躅ヶ崎館、足利氏の館(現 鑁阿寺)、そして奥沢城(現 浄真寺)と、何処の平城跡も土塁は残っている土塁は往時を偲ぶよすがなり奥沢城に纏わる『常盤姫伝説』奥沢城主 大平出羽守の娘で、世田谷城主 吉良頼康の側室『常盤姫』が他の側室の嫉妬の讒言により追放、自害自害直前に白鷺に手紙を結びつけ奥沢城へ飛ばしたものの白鷺は奥沢城近くで力尽きて落鳥白鷺が倒れた場所に生えた草に白鷺に似た白い花が咲き鷺草と呼ばれるようになったという伝説その舞台がここ奥沢城(現 浄真寺)ですだから浄真寺は鷺草を模した手水舎や置物がそこらじゅうにある東京では自生の鷺草は絶滅しましたので、現在の東京の鷺草は全て栽培種です。