文化九年の庚申塔、歴史を感じる静寂。
榎庚申塔の特徴
文化九年(1812年)建立の駒形三猿の庚申塔が見どころです。
六郷田無道と瀧坂道の交差点に位置しています。
榎に移転された歴史的価値のある庚申塔です。
道の分かれ目に。
文化九年(1812年)建立の駒形三猿の庚申塔です。道標も兼ねています。
google mapには「六郷田無道の庚申塔」とあったが、現地の説明板には「榎庚申塔」とある。説明板には以下のように書かれています。 この庚申塔は、江戸時代後期の文化九年(1812年)に武蔵国多摩郡上祖師谷村の現在地に村人によって建立されたものです。 庚申塔の下部には三猿像が刻まれ、それぞれ両手で目、耳、口を押えています。これは病魔を払い、悪疫を防ぐためのものといわれています。 また、この塔は伊勢神宮に天下安穏、五穀豊穣祈願に参詣する村人たちが、道標とすることも目的として、村の辻に建立されました。庚申塔の基部には寄進者の名前が刻まれています。 この度、先人の風習を後世に伝えるため、世田谷区と寄進者の方々のご厚意とご協力により、平成二十年三月二十一日(庚申の日)に再建立されました。
六郷田無道と瀧坂道の古道が交差する榎に建てられた庚申塔を後年こちらに移転したもの。現在地から榎に向かう道が六郷田無道、榎交差点で交差する道が瀧坂道。六郷田無道はたぶん室町時代からのもので現在の大田区六郷と西東京市田無を結ぶ。瀧坂道は奈良時代、武蔵国の主要道で府中と現在の渋谷道玄坂を結んでいた。江戸時代に甲州街道が整備される前は府中と江戸を結ぶ主要道として使われた。榎の交差点は運が良ければ富士山 の見えるポイントでもある。
多摩川河口付近の六郷から田無に通じる旧街道は六郷田無道とも言われるようです。この辺りは多少の面影を残すことから「せたがや百景」の一つに選定されています。大切に保存されているこの庚申塔は数少ない遺構の一つではないでしょうか。
| 名前 |
榎庚申塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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三猿庚申文字塔。端正な字体の刻字「庚申塔」下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)。三猿の配置が水平ではなく左上がりになっています。このような配置は他の庚申塔で見かけたことがありません。左の猿の足が右下がり、右の猿の足が左上がりで、明らかに「動き」、あるいは「流れ」を意識しているように思います。道標を兼ねています。「南 せたがや めぐろ みち」「北 ところざわミち」「東 たかいどミち」「文化九申十月建立」(1812年)現地説明板によると、平成20年3月21日(2008年)に再建されたとのことです。