歴史と美が交わる庭園
観泉寺の特徴
今川氏ゆかりの立派な寺院で、美しい庭園が魅力です。
境内には今川氏真公の墓があり、歴史を感じることができます。
竹林や釣り鐘台など、整備された景観が楽しめる場所です。
トイレ確認できませんでした。境内だからなあ。令和7年6月某日、朝の散策で訪問しました。訪問者はどなたもおられません。すごくきれいに整備された庭園?です。他の方の口コミを拝見するに、紅葉がとても美しそうですね。今秋まだ、東京に居ればぜひ訪問してみたいと思います。太田黒公園の紅葉で感動して紅葉好きになりました。ぜひ訪問したいところ、めちゃふえたなあ。以下、杉並区HPより引用です。当寺は、宝珠山観泉寺という曹洞宗の寺院です。本尊は木造釈迦如来坐像で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺として広く知られています。寺伝によれば、慶長2年(1597年)、鉄叟雄鷟(てつそうゆうさく)大和尚によって、今の下井草二丁目付近に開祖され、観音寺と称しました。正保2年(1645年)、今川氏13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を務めました。その功により井草村など三ヶ村500石の加増を受けました。それを機に当寺を菩提寺とし、現在地に移して寺名を観泉寺と改めました。信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とし、万昌院(現中野区)から祖父氏真(うじざね)の墓所を当寺に改葬、勧請開基しました。ここに眠る開基の今川氏真は、今川氏が敗れた永禄3年(1560年)5月19日の「桶狭間の戦」で父義元を失い、家督を継ぎますが、領国であった駿河は北条氏・武田氏が、遠江は松平元康(徳川家康)が支配することになりました。今川氏没落後の氏真は、北条氏や松平氏の下に身を寄せ、文化人として多くの和歌を詠んでいます。徳川幕府が成立したのち、今川氏は幕府高家として召し抱えられ存続しました。
杉並区今川今川家の菩提寺ということだが、都内にこれだけの雰囲気あるお寺も珍しい。常日頃手入れされてるのか、今日も庭師がせっせせっせとお仕事。もみじが素晴らしいので、秋に訪れたいです。
紅葉を見に初訪問しました。昼時晴れていたのでもみじが陽の光に照らされて綺麗な紅葉が見れます。境内は観光客は殆どいないので穴場的なスポットです。
今川氏ゆかりの場所として今も愛されている大変立派な寺院です。
ここ観泉寺は、今川義元の子、今川氏真公の菩提寺で、境内の奥には、今川氏真公、早川殿の墓がありました✨✨北条氏康の保護により品川館から、ここに移ったんですね!!勉強になりました!!
敷地内はとてもきれいに整備されていて、コンパクトですが竹林や立派な木造の釣り鐘台など美しい景観のあるお寺です。駐車場もあります。今川家にゆかりのあるお寺のようです。
古刹です。ここら辺の地名は今川。義元の子の氏真が徳川から所領を賜った。今川氏は幕末まで高家(幕府と朝廷のパイプ役)として活躍しました。氏真と早川殿の墓が並んでたっています。
5日、前中野区上高田の萬昌院功運寺の吉良上野介義央の墓にお参りした。その際に、隣に今川家の墓があり、今川氏真が一時的に葬らていたが、杉並区今川の観泉寺に移されたと聞いた。都区内37℃の猛暑の予報も出ていたが、気もそぞろに西荻窪駅から歩くことにした。かなりの距離があったものの、境内は秋の気配を感じさせる風が吹き抜けていた。今川家は家康に臣従して、この地に名を残し静かな時を重ねていたのである。
今川の地名の由来のお寺。整備が行き届いていた。さすが禅寺!整然とかつ、むだなものがない。維持費・・・たいへんやろなぁ〜あちらこちらに梅の木多く、ロウバイも素敵でした。梅好き😍のお寺かな?
| 名前 |
観泉寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 7:30~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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すごい庭園みたいなところですね自然に触れたい人には、オススメですね紅葉シーズンにも適してそうです。