阿佐ヶ谷パール商店街の石仏、ひっそりと。
阿佐ヶ谷南 庚申塔(青面金剛像・地蔵菩薩像)の特徴
阿佐ヶ谷パール商店街の中ほどにひっそりと在る石仏です。
阿佐ヶ谷駅前商店街の一角に位置する庚申塔があります。
通り過ぎてしまうほど控えめな存在の石彫が特徴です。
阿佐ヶ谷駅前商店街の一画に阿佐ヶ谷村の庚申塔がひっそりと在ります。今では地蔵菩薩と青面金剛の2基が商店街と道行く人々を見守っている事でしょう。
パールセンターにある。
商店街の中にある石仏。今の時代に、よくぞ残してくれました!
阿佐ヶ谷パール商店街の中ほどにひっそりと立っています。商店街は人通りが多いのですが、この庚申塔・地蔵は皆の目には映っていないようです。
気にしてないと通りすぎちゃうかもしれません。お地蔵さまと庚申塔がありました。碑文には・・・・・参百弐年前に村の人々の発願で建てられたお地蔵様とお庚申様です。時代の流れをずっと見てこられました。このパールセンターは、昔、権現みちと呼ばれ、北は子の権現様へ南は堀之内妙法寺へと大勢の人がお参りする道筋であり、大宮八幡宮大鳥居前で鎌倉街道に接続する鎌倉古道であると云われています。と、書かれています。
| 名前 |
阿佐ヶ谷南 庚申塔(青面金剛像・地蔵菩薩像) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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杉並区としては、JR中央線や東京メトロ丸の内線で市役所が最も近い阿佐ヶ谷駅や南阿佐ヶ谷駅は、杉並区としては最も古い地名です。平安時代の頃は桓武平氏の一支族の「あさがや殿」が本貫地としていた場所であり、無文字の考古学的な時代から、文字記録が残る歴史的な記録が残る古くから人が住み着き、営々と文明を営んできたことが伺われます。さて、阿佐ヶ谷駅南口にある青面金剛や地蔵菩薩はそれより時代が下り、ともに元禄4年(1691年)の江戸時代初期の作です。しかしながら、江戸時代において四谷大木戸よりも西にあるこの地は江戸府外と呼ばれ、中野区・杉並区の都市化が進んだのは、関東大震災以降に旧江戸市街をベースに発展してきた現在の下町などの人々がニュータウンとして移り住んだ物であり、けして歴史が浅い場所ではありませんでした。さて、このアーケード街(パールセンター)は、かつて権現みちと呼ばれ、北は子の権現へ、南は堀之内妙法寺へと大勢の人がお参りする道筋であり、大宮八幡宮大鳥居前で鎌倉街道に接続する鎌倉古道であったと伝えられています。二柱の石仏は、いわば1200年続く阿佐ヶ谷の歴史の一端を示し、430年以上人々の営みを見守ってきた歴史の証人なのです。信仰の対象としても、文化財としてもとても尊い存在なのです。お地蔵さまは顔の損耗が激しく、明治の廃仏毀釈を生き延びて来たであろう事は想像に難くありません。21世紀を生きる私たちは日本人自らが日本の良き文化を破壊する愚行をせず、末永く先祖たちが大切にしてきた文化や信仰を受け継ぐ必要があると私は強く思い続けています。