聖武天皇の国分寺跡で桜を舞う。
武蔵国分寺跡の特徴
武蔵国分寺跡は奈良時代創建の国分寺跡で、散策に最適な場所です。
聖武天皇の命による建立の歴史を感じながら、桜を楽しめるスポットです。
大規模な国分寺跡として国指定史跡に認定されており、歴史的重要性があります。
国指定史跡。奈良時代、度重なる飢饉や疫病の蔓延を憂いた聖武天皇の詔(みことのり)によって全国に建立された国分寺の一つで金堂を中心にして東西2キロ、南北1.5キロにわたって寺院に関連する集落が広がっており、全国でも、かなり広い規模の寺域を誇るそうで17号線を挟んで反対側には国分尼寺の遺跡もあります。昭和31年より48年までの長期にわたり発掘調査が行われましたが人口が増えていた時代でもあり違法建築などもあり国分尼寺も含め広大な遺跡地の保護には関係各位のご苦労が尽きなかったようです。たしかに当該地を散策すると遺跡に隣接する文化財内包地と思しき場所に建築物が数多くあり自分の地元の地方都市の国分寺跡とは事情が異なるのがよくわかります。国分寺遺跡の北側は国分寺資料館もあり湧き水のある遊歩道や後の時代の武蔵国分寺や仁王門もあり歴史公園として市民の憩いの場所となっています。独り言ですが・・・。疫病(天然痘)や天災によって人口が減少し、庶民にとって生存自体がギリギリであったであろう奈良時代において、これだけの規模の寺院を全国規模で建立することは聖武天皇の御心とは違い、かなりの負担を強いたと思います。大宝律令とは徴兵と税金を取るために制定されたと聞きましたが諸所問題があるにしても現代社会の日本に生まれたことには心から感謝しますねえ・・・・。
奈良時代、8世紀の中頃に聖武天皇の詔によって全国に国分寺が建立されましたが、武蔵国の国分寺もこの頃に建立されました。詔では、建立する国分寺についてレギュレーションが定められていて、それは例えば、七重塔を作ること、良き場所を選ぶこと、寺の僧侶は20名,尼寺には10人の尼僧を置くこと、お経(法華経)は10部写すこと、国司は国分寺をちゃんと管理監督すること、など。武蔵国では、国府の北、国分寺崖線を背にしたこの場所が適地として選ばれました。 ・・・ということが、近くの武蔵国分寺跡資料館で学べます。今の国分寺跡には伽藍の礎石などの他には何も建っていなくて、広大な敷地のみ保全されていますが、それでもその広さから当時の寺院の規模感などを感じることはできると思います。広大な敷地のわりに公衆トイレは設置されていませんが、現・武蔵国分寺のトイレをお借りすることができます。
最寄り駅 JR中央線 国分寺駅徒歩20分位観覧無料本史跡は、かつて武蔵国に置かれた国分寺および国分尼寺の跡地である。尼寺区域は調査が終わっており歴史公園として整備されている。一方僧寺区域は整備事業の一環で発掘調査中である。との事です。かなりの広い敷地です。それだけ全国に置かれた国分寺が重要だったのでしょう。史跡自体は説明碑が置かれ見やすくされ礎石等はそのままにしレンガ等で覆いオブジェ化されています。公園になっていますので近隣住民の憩いにもなっていました。少し歩きますが武蔵国分寺尼寺跡もありますがこの広大な土地全てが国分寺であったと考えると凄いですね。
聖武天皇時代に全国各地に造られた国分寺の中でも大規模な武蔵国分寺。鎌倉時代に分倍河原の合戦(幕府軍vs新田義貞)で消失しましたが、その後義貞により寄進された「武蔵国分寺」が後継寺院として残っています。ちなみに全国に国分寺は60余りありましたが、現在も地名(国分寺市)として残っているのは武蔵國だけだそうです。
住宅地や農地の真ん中に広大な野っ原が広がっています。巨大な公園。ところどころに看板や柱のマークがあり、武蔵国分寺の規模を感じることができます。
府中市の国府から北方約2㎞の地に「東山道武蔵路」を挟んだ東西に聖武天皇による「国分寺建立詔」により「僧寺」と「尼寺」が出土遺物や「漆紙文書」の年代観などから天平宝字年間(757~765)頃に建立されたと推定されている。全国60余国に建立されました国分寺も所在地が不明な国もあることから同一地域に「僧寺」と「尼寺」が判明し遺構も良好に保存されていることから国の指定史跡になってから2022年でちょうど100年を迎えた。国分寺としての規模も大きく、七重塔が建立されるなど壮大な寺だったとされるが、承和2年(835)に七重塔が落雷により焼失し、その10 年後、再建願が出て許可されたことが『続日本後紀』に記され、10 世紀前半頃には寺域区画溝が埋没し、徐々に衰退していった。新田義貞と鎌倉幕府方による分倍河原の合戦(1333)により国分寺は焼失し、建武2年(1335)には義貞により薬師堂が再建されたと伝えられている。
国分寺市の由来の場所。なのに街のはずれにひっそりある印象で趣がある。子どもたちがめちゃくちゃ元気に遊んでた。居住、就学、文化それぞれの環境がいい。
奈良時代に創建されたお寺ですが、今はその面影はほとんどなく、人々の憩いの場になっております。所々に建物の構成や間取りを説明した案内板がございます。辺りを見渡すと、結構な広さであり、長い歳月と多くの人力で建てられた立派なお寺であった事が想像されますね。
武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性が認められており、国指定史跡に指定されているとのことです。
| 名前 |
武蔵国分寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
042-300-0073 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/smp/shisetsu/kouen/1005196/1004222.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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奈良時代中期、政治の混乱や全国に蔓延した疫病や飢饉、災害などの社会不安を安定させるため聖武天皇が各地に作らせた国分寺。遣唐使が中国で見てきた建築物を模倣して建てられています。京都・奈良の中央から 遠く離れた東国の地に 立派な建物が造られていた事に驚きます。近くにある武蔵国分寺跡資料館に行けば、当時の様子が学べます。