高さ3.8mの石室、渡来人の謎。
馬立1号墳の特徴
ドーム型の天井が印象的な石室が見どころです。
綺麗に整備された史跡で訪れやすい環境です。
直径18m、高さ6mの円墳が存在します。
6世紀末につくられた円墳で特徴的なドーム型の天井などの様式から渡来人の墓である可能性が指摘されているそうです。国の重要文化財に指定されています。整備されており中を見ることができます。周辺には多くの古墳が建てられていますが、この1号墳が登山口から最も近くにあります。
ドーム型の天井を持つ石室があり、渡来人の墓では無いか?と言われています。石積みは見事です。古墳が沢山あるので、整備すれば古代の良い勉強場所になると思うのですが。看板などもはげかけています。この辺りは全体的に勿体ない気がします。
入り口も、見た目もただの円墳にみぇ。中を見学☆石は小さなものが多く、奥壁もない。でも天井をみて感動しました!!上に行くほど狭くなっておりまっすぐではなく、三角になったような形をはじめてみて、不思議な感覚になりました(✪▽✪)古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される。特にドーム状石室の点から、朝鮮半島系渡来人の墓とする説がある。須恵器などが出土☆
綺麗に整備されています。中にも入れます。【以下説明】馬立古墳群この古墳群は、今から1300年前の6世紀後半から7世紀にかけてつくられ、全国的に古墳の数が激増する後期古墳時代のものです。ここでは、郷戸型といわれる高さ3m以上の大型横穴式古墳12基をはじめ31基の石墳があります。なかでも姥塚古墳(1号墳)は、ドーム型の珍しい形式をもち、百済(韓国)にその原形があることから帰化系氏族の墳墓ではないかと見られています。なお、姥塚古墳は昭和51年県重要文化財に指定さています。馬立古墳群は新宮町を代表する古墳群の一つで、この谷底平野一帯には32基の古墳がほぼ完全な状態で残っています。この古墳群は6世紀後半から7世紀にかけて当時の農民の作った墳墓であると言われています。巨岩を巧みに積みあげた玄室と呼ばれる埋葬のための部屋と、通路にあたる羨道からできていて、埋葬が終わると羨道の入り口は石を積みあげてふさいでいます。これを閉鎖装置と言いますが、再び死者がでたときは、この装置を外して横から出入りが可能なので、このような古墳は横穴式石室古墳と呼ばれています。 この時代の古墳には、死者があの世(黄泉の国)で生活に困らないように多数の品々を埋納することが特徴です。町内の古墳からも、須恵器と呼ばれる焼き物や、馬具、武器類、首飾り、金メッキをした耳飾りなどが出土して、当時の生活や埋葬の様子が分かります。北側の山神社の近くの尾根の先端には、姥塚と呼ばれるひときは大きな古墳がありますが、これは当古墳群の中心的存在で、おそらく村長(むらおさ)と呼ばれる村の有力者が葬られていると思われます。この古墳は石室の平面が方形で、壁面は天井に近づくにつれて次第に内側にせり出しドーム形をしています。こういった石室は穹窿式石室と呼ばれ、大陸にその祖形がみられますので、渡来人の墓ではないかと言う人もあります。当古墳からは、子持ち壺など須恵器や玉類の出土が知られています。なお、馬立にはこの南側の山麓沿いに、さらに6基、8基、19基の支群があり、計65の古墳が確認されています。新宮町教育委員会。
20.11.14直径18m.高さ6mの円墳。横穴式石室だが通有の石室とは異なり、玄室の床面が正方形に近く、各壁から石材を横積みしながら上部にいくに従い隅を消し内側にせり出し、ドーム型を呈する。穹窿式(きゅうりゅう)と呼ばれ、祖型は百済にあるとされている。
6世紀後半の古墳群。ここでは合計32基確認されていて、村の有力者が葬られたと推定されてますが、古墳の造りから渡来人の古墳だとも言われてます。中は石室でそのまわりを山状に土を盛った感じでした。中に入れます。さすがにひんやりしてて涼しかった。ここの近くにはさらに別の古墳群があるようで、この地域では合計すると65基も確認されてるそうで馬立古墳群と呼ばれてます。姥塚古墳群からは、中から焼き物や馬具、耳飾り等、多数出土してるようです。
| 名前 |
馬立1号墳 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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高さ3.8mのドーム状の石室が凄いのでぜひ。墓場の奥の山神社の祠の手前、藤棚の奥に有ります。