歴史感じる等乃伎神社、ユニークなお守り満載。
等乃伎神社の特徴
境内に忠魂碑があり、歴史を感じる神社です。
住宅街に位置しながら、落ち着いた空間が魅力です。
よそでは手に入りにくい御守りが豊富に揃っています。
困ったときの等乃伎神社と言われる、大阪南部では(全国でも)トップクラスの授与品の品ぞろえを誇るスーパー神社。ブツブツに切れた熊野街道沿いに、島のように残る境内なんですが、R30沿いではあるものの、クルマで近寄るのは少々難があります。電車なら、阪和線の富木(とのぎ)駅。特急「はるか」や「くろしお」が猛スピードで通過する高石市の駅ですが、この神社に参詣するのに途中下車してでも行く価値ありのところです。駅から向かって行くと、神社の西側から南へ回り込む形になりますが、境内入って、ほぼ斜め正面に本殿、左の長屋が授与所に続く陳列コーナーになっています。だれでもどれか一つは当てはまる願意のお守りが、整理されているように見えてランダムに、お札も含めて、ばばーっと並べられています。なんでもないヒマな平日は雨戸で締めきっていますが、参拝時間中は左右自由に戸を滑らせて移動する雨戸をずらしながら、好きなお守りを選べます。社務所に並ぶ授与所右側で、いちおう露天会計してくれますが、おおざっぱな整理なので、何を何体買って、いくらなのか、会計中はその場を離れてはいけません。話しかけると計算はしていますが、正確かどうかは分かりません。キャラクターものは古いバージョンも当然のこと、なんでも置いてあります。お守りに入れてあるの等乃伎神社名は、ピンキリで、金糸で入れてあるものから、金箔押し、朱色のゴム印押しまであるので、神経質な方には向かないかもしれません。けれども、種類はダントツで、いつもチョロチョロ陳列位置や内容が変わりますから(みんながいじるので、まえに確かにあったものがどこかへ移動しているから)気になる方は、マメに通うことをお勧めします。御手水舎のほかに、触れて清める岩もありますから、ハンカチ持ってない人は、境内入ってすぐの場所にある"祓い岩"にさわるだけで済みます。若い人の神社離れなんてのはどこ吹く風の模範的経営の神社です。
実家の近所にある社の一つで延喜式神名帳にある式内社になります。主祭神は天児屋根命で、天児屋根命は中臣氏の祖とされています。中臣殿来連竹田売という方がこの地を治めていたことから、等乃伎という名前が付き、祖である天児屋根命を祀ったのがこの社になるということです。旧社格は村社になります。ここの社、御守りの種類がめちゃくちゃ多いです。御守りのデパートって感じがします。大鳥だんじり祭に参加している富木地区のだんじりが社の前に保管されています。
神社の境内に忠魂碑がありました。やはり神社では、英霊の方々を神様としておられます。
駐車は神社の境内に数台止めることができます。トイレは分りませんでした。
起源は古く平安時代中期の延喜式神名帳にもその名は記されています。中臣氏の一族である殿来連が祖神の天児屋根命を祀ったのが始まりで、その年に太政大臣の藤原武智磨呂やその子の大納言藤原仲磨呂がこの里に移住したことから藤原氏(中臣氏)との由縁が強かったとされています。また、古事記下巻に記されている巨木伝説の地と考えられ、古代の太陽信仰にも繋がりがあると伝わる。現在でも当神社の楠が御神木として崇められています。現在では特に御守り販売に力をいれており、"よそでは手に入りにくい御守"としてキャラクターを使った御守やステッカー型の御守などを幾種類も販売。また拝殿にはガシャポンおみくじ"カプセルみくじ"が置かれるなど奇抜な神社となっています。巨木伝説: 仁徳天皇の時代に「兎寸河(とのぎがわ)」の西に一本の巨大な樹があった。朝日があたればその影は淡路島に、夕日の影は高安山を超えた。ある日この樹を切って枯野(からの)と呼ばれる船を作り、朝な夕なに淡路の清水を汲んで天皇に献上したと伝わる。この船が壊れて廃材を焼いて塩をつくり、燃えなかった材を琴を作ったら素晴らしい音色で遠くの村里まで響きわたったとされている。
2月25日、本殿近くの梅が綺麗に咲いてました。
夜遅くに気持ちを整えられる神社を探し、ご縁で辿り着きました。本殿にお賽銭を入れようとすると、センサーで雅な音楽が流れましたが、夜中の参拝時だったので全身が一瞬凍り付いてしまいました。ともあれ、出迎えて頂いている良い雰囲気の中、新年の誓いを静かに行うことができました。良い神社だと思います。昼間に参拝した時、お守りの豊富さに驚きました。思わず笑ってしまうお守りもあります。依存症封じもあればギャンブル必勝お守りもあります。この二つと、借金・貧乏封じお守り全てを購入すれば程よいギャンブルができるかも(笑)。ITお守りがこれからの僕の業務にマッチします。
境内にはたくさんの木が植えられており、茂って陰になるようなところにはやぶ蚊がたくさんいるので注意が必要です。
延喜式神名帳の和泉國大鳥郡の項に記載のある式内社。また同郡の項に記載のある大歳神社を明治42年に合祀している。JR阪和線の富木(とのき)駅の東改札から徒歩15分ぐらい。この等乃伎という社名の「伎」は「木」のこと。古事記の仁徳天皇の条に「此之御世、免寸(とのき)河之西、有一高樹。其樹之影、當旦日者、逮淡道嶋、當夕日者、越高安山」という記載がある。これによると、とのき川の西に一本の高い木があって、その木の影は朝日が当たると淡路島に及び、夕日に当たると高安山を越えたという。この記載は実際、冬至と夏至の日の太陽の動きと一致している。当社から見た夏至の太陽は高安山から昇り、当社に巨木があれば、その影は淡路島の由良湊神社(式内社)の方向を向く。一方、冬至の太陽は由良湊神社に落ち、当社に巨木があれば、その影は高安山の方向を向く。等乃伎神社は古事記の記載から巨木信仰から生まれた神社とされるが、その本質は日知り(暦を知らせる)神だろう。以前、大和の鏡作坐天照御魂神社と石見鏡作神社も太陽の運行にしたがって配置されている。この両社の配置は立春・立秋の太陽の運行にしたがって配置されたと考えられるが、そもそも立春や立秋は推古天皇の御代に中国から導入された中国暦に基づくもので、それより前は夏至と冬至が重要視されていた。立春や立秋の中国暦が導入されたため、夏至と冬至の太陽の運行にしたがって配置されていた石見の鏡作神社が八尾に遷座した可能性も指摘されているが、等乃伎神社の配置は夏至と冬至の太陽運行に従うもので、推古天皇以前の、古代日本の暦に従ったものといえる。当社の現在の御祭神は天児屋根命となっているが、本来は巨木による日知りの聖地。また、宮を建てたのは752年ともいわれているが、上記の理由から推古天皇(593-628)以前の古社であると思う。
| 名前 |
等乃伎神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
072-271-0553 |
| HP |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai10shibu/takaishi-city/10033tonogijinja.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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等乃伎神社(とのきじんじゃ)。大阪府高石市取石。式内社(小)、旧村社。主祭神:天児屋根命 (配祀)誉田別尊 菅原道真(合祀)大歳大神 壷大神 菅原道真 大歳大神【関係氏族】殿来連(とのきのむらじ) :大中臣之同祖、天児屋根命之後也とある。資料によると、孝謙天皇天平勝宝4年5月(752)、殿来(とのぎ)連この宮を営み祖神の霊を枚岡神社より迎えて奉斎したという。この年太政大臣藤原武智麿がこの地に住んだので「殿来」と称したという。中臣殿来連竹田売。藤原武智麻呂、其の子大納言・恵美押勝(仲麻呂)がこの里に居住したと伝わる。また、古事記下巻の仁徳天皇の段に「兔寸河(ときがわ)のほとりに1本の高い樹があり、その樹の影は、朝日があたれば淡路島に届き、夕日があたれば高安山を超えた」の巨木伝説がある。当社の西方に「富木車塚」という古墳がある。俗説では小栗判官の墓とも称しているが、この古墳の被葬者等が富木周辺の権勢者であり、その氏神として祀られたのが当社であるとも推定される。延宝7年(1679)菅原道真を合祀、天神とも称す。明治5年(1872)村社。同42年2月綾井村鎭座の大歳神社(延喜式内社)を合祀。(式内小社 大歳神社 鍬 和泉国 大鳥郡鎮座 祭神:大歳神)とあります。