孤立丘に広がる歴史、田内城跡。
田内城の特徴
田内城は標高300mの孤立丘にあり、最後の戦国時代の名残を感じさせます。
別名金ヶ崎城として知られ、訪れる価値のある歴史的名所です。
田峰城と併せて訪問することで、歴史の深さを体感できます。
よく整備されてる。
田内城跡(たないじょうあと)別名•金ケ崎城所在地 北設楽郡設楽町田内字インベ22訪城日 2024/9/20築城者 菅沼伊賀守定盛築城年 天文年中(1532~1555)形 態 丘城(標高334m•比高40m)遺 構 曲輪指 定 設楽町史跡「道の駅したら」でパンフレットを貰ったので立ち寄ってみました。城址は、広い山頂の主郭と削平された腰郭からなる簡単な造りで、駐車場からの比高も40m程しかないので楽に見学できます。主郭には、現在「城山稲荷」が鎮座されるのみで遺構などは残っていません。以下パンフレットより「立地」田内城は、豊川右岸の標高334mの独立小山に築かれ、東側に豊川が流れ比高71m、北側は比高66~35mの自然の掘り、西側は湿地帯で比高30m、南側がゆるい斜面の地形で三方を急斜面に囲まれた天然の要害に築かれている。縄張りは、山頂の本曲輪(900㎡)を中心に北の小曲輪•西に腰曲輪•南に二の曲輪と腰曲輪、その下が大手口の構えとなる。「城歴」戦国時代、奥三河に勢力を誇った菅沼氏の一族、島田菅沼氏の伊賀守定盛が天文年中(1532~1555)に築城。その後、定勝•三照(始め定清)と続き、三照が新城の井道に移り廃城になったと云われる。
田内城址(別名 金ヶ崎城 )「田内城は、標高300m、 寒川から の比高40m、集落からの比高20mの孤立丘(通称城山)を立地としたものである。山頂の城郭は、東西40m南北120mの規模で、面積が10アールの本曲輪を中心に、南方に二の曲輪、 北方に小曲輪がある。この城は、「三河国二葉之松」の古城記に記されている由緒ある山城である。 島田菅沼氏との関わりがあり、 田内伊豆神社棟札に「天文5年(1536)勧請 ·····菅沼伊豆守定盛」とあることから、天文年間当初には築城されたと思われる。 ちなみに、徳厳山幸秀寺は、菅沼氏の菩提寺でもある。」駐車場もあっり、城跡を巡る道も整備されてきましたが、今回は時間がなかったため、登り口付近で引き返してきました。また行きたいと思います。
田峰城とセットで訪れるべき。
| 名前 |
田内城 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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駐車場無し。道の駅したらに駐車して1kmほど歩いて行く。石碑等はなし。