三浦道寸の名城を訪ねて。
岡崎城跡の特徴
鎌倉時代の名城、岡崎城跡の歴史を感じる空間です。
勇将岡崎四郎義実が築いた、見応えのある曲輪の遺構があります。
伊勢氏の相模侵攻の一環としての城跡で、石垣の雰囲気が楽しめます。
小田急線 伊勢原駅から徒歩25分のアクセス、鎌倉幕府成立に貢献した鎌倉殿の一人 岡崎四郎義実の居城。後に相模国の有力一族の三浦氏と後北条氏の一騎討ちの舞台となった歴史的重要遺構。現在は本丸跡は無量寺の境内となり、周辺の谷戸に空堀が残っています。丘陵の自然地形を上手く利用し要害性を高めた縄張を見ることができます。
鎌倉時代の岡崎四郎義実の居城は岡崎神社を中心とした範囲が館跡でした。戦国以降に無量寺となったようです。無量寺近くに四郎義実のお墓が有ります。土塁や堀跡も少なからず残ってます。
岡崎城は伊勢氏の相模侵攻の一つの城です。三浦方の正木時義が籠城しますが正木氏は伊勢氏と仲が良かったので、即刻開城します。正木氏は誼のある安房へ行き後の安房里見氏を多いに発展させる人物になります。その後岡崎城は、伊勢氏のものとなり、三浦氏討伐後は、伊勢氏が城持ちとなりました。
鎌倉殿の十三人で岡崎義実、真田与一の名前が出てきたので、調べたら地元の平塚、伊勢原に所縁の人物だそうなので、訪ねました。岡崎氏が三浦一族であること、源頼朝の挙兵に応じて立ち上がった事。石橋山の合戦での嫡子真田与一が孤軍奮闘し浮世絵の題材になるなど名を後世に留めているそうです。
三浦道寸が北条早雲の攻撃に17年耐えたという城は現在無量寺境内となり荒れ放題です。しかし周囲を一回りしてみるとその大きさに驚きます。
城址といってもお寺があるだけ。境内に古い墓石を集めた無縁仏の供養塔があるので古いお寺らしいことは分かる。見晴らしがいいので、城を築いたんだろうと思う。
本堂の脇や裏側に見える曲輪や空堀の痕跡に往時がうかがえます。
現在はお寺さんで、裏手側に回ると、曲輪跡を見られます。丘なので、平塚市街までみえます。
寺院と墓地になってしまっているが、石垣に城の雰囲気は感じられます。
| 名前 |
岡崎城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.isehara.kanagawa.jp/kankou_guide/docs/2014101000119/ |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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三浦道寸さんの居城だったということで訪れました。いかにも城!な地形です。