静謐な風が吹く高森神社。
高森神社の特徴
江戸時代から続く高部屋神社の歴史を感じる立派な社殿です。
新しく建て替えられた神社は静かな雰囲気で穏やかな気持ちにさせます。
加茂族の首長を祀る神社であり、その風格は新しいながらも魅力的です。
境内がきれいに管理され、とても気持ち良い風が吹く神社です。2024年から、乙巳の日に『福神龍祭』という、福神龍のお姿のしいの木を祀るお祭りが行われるようになったそうで、2回目の開催日に参拝に訪れました。朝の10時から15分程でしょうか?宮司さんが祝詞をあげます。そして参拝者も一緒に祈祷してもらえます。違っていたらごめんなさい🙏福神龍祭の日限定の御朱印もいただけて、とても有意義な時間を過ごせました😊ちなみに、天と地を繋ぐポーズ(某番組では、レオンポーズと名付けられているポーズ)を叶文字の上ですると、さらにご利益があるとか✨
風土記にあるが、江戸の頃は 八幡神社 であったようだ。ここには史料がないが、明治の頃にでも改称したのだろう。祀られている神も特徴的で、“味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)“ を祀っている。そのゆえんは解らないとある。神仏分離のときにとりのこした神も今も尚、併祀されている。________________❷【参考 伊勢原町勢誌 1963年】北高森の八幡神社だけは祭神が “応神天皇“ ではなく、“味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)“ である。大国主命の子で国津神であるが、祀られるいわれは残っていない。併祀されている “多聞天” “歓喜天” は神仏分離の時のとりのこしであると云われている。“多聞天” は羅刹、悪鬼神である。夜叉(猛悪な鬼神)を統率する神で、“毘沙門天”という。“歓喜天” 密教の神である。_________________❶【参考 新編相模風土記稿 1830年】八幡宮 江戸時代の書におけるこの神社の紹介文北高森の鎮守である。多門歓喜2天を合殿とする。神楽殿がある。[鐘楼] 元禄9年(1696年)の鐘をかけている。[末社] 疱瘡神[例祭日] 8月6日[管理] 村民。
平成21年(2009)の不審火により再建されたため、社殿や境内はまだまだ真新しい雰囲気ですが、茅葺きの頃の写真を見ると、こちらも延喜式内高部屋神社の強力な論社であるというのも十分頷ける程の風格です。現在は付近を東名高速が走り開かれた印象がありますが、隣の道了尊の奥宮からこちらの方面を望むと、山林の中に厳かに佇んでいたであろう往時の姿を偲ぶことができます。
ウォーキングコースの一つで、新年初めてのお詣りに行って来ました🙏
愛甲石田駅から徒歩30分程離れた場所にあります。結構歩きます御朱印は電話でお願いすると神職さんが駆け寄り対応してくれましたとても、キレイな神社さんです。
朝もはよから、神殿開いてる途中に児童館あり。
静かな雰囲気で穏やかな気持ちになれます特徴として賽銭箱の上に鈴がなく、鐘楼で鐘をつくような形になります年始はお祓いもできますし、綺麗です。
選挙戦のお礼参りへ向かいました。雨の中でしたが、大変雰囲気が良い神社でした。
水稲文化を広めた加茂族の首長、味須岐高彦根命を祀る神社。
| 名前 |
高森神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0463-93-8208 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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高森神社(たかもりじんじゃ)。神奈川県伊勢原市高森。式内社(小)高部屋神社の論社、旧郷社。主祭神:味須岐高彦根命【関係氏族】加茂族資料によると、御祭神味須岐高彦根命は、日本に稲作を拡めた加茂族の首長でありました。大国主命の長子として生れ、天照大神が大国主命に国土を献上するようにと天稚彦をつかわした時、和合をもって平和に徹した神で、大和の葛城に鎮座されたのであります。御祭神は、大変権威の高い神であるとともに日本の国土造りの中心人物でありました。その高彦根命が、いつどんな経過で、この高森に鎮座されたか、明らかではありませんが、おそらく古い時代、葛城にゆかりのある人々がこの地に来て開拓、農耕殖産の道を教え、五穀豊穣を願い、郷里にちなみ、心のよりどころとしてここに高部屋の社を建て、祖神の高彦根命をお祭りしたものと思われます。加茂族の中心地葛城は、稲作に大変好適地であったばかりでなく、国内各地に至る交通の要衝になっていたのであります。葛城には、高鴨神社、鴨都波神社、一言主神社、御歳神社、高天彦神社など加茂族ゆかりの古い名神大社があり、高鴨神社や高彦根命を始めとして、高天、高丘、高宮、高市など「高」の字のつく神名や地名が多く目立つところから、ご祭神にちなみ当地を「高森」と名づけたものと考えられます。高森神社は、明治初年までは高部屋神社とも称されましたが、棟木に高部屋神社と書いてあることと、鳥居脇の石碑にもそのように刻まれていることなどの物証もあります。明治初年、神仏分離令のおり、神社名を高森神社と改称されたと伝えられています。延喜式にある高部屋神社は、おそらくこの社のことを指しているものと思われ、式内社「高部屋神社」の論社の一つとされております。とあります。