歴史ロマン溢れる太田道灌の墓。
洞昌院の特徴
太田道灌の霊廟・胴塚が特に立派です。
歴史ロマンを感じられる趣のあるお寺です。
しだれ桜が満開の時期にぜひ訪れたいです。
買い物後、近くにある太田道灌のお墓がある洞昌院へ線香を上げに行ってきました。
お寺は至って普通にキレイな場所ですが、太田道灌の霊廟・胴塚がとても立派です。
道灌公のお墓から伺ったので裏手から入る形になってしまった。立派な寺院である。
太田道灌の菩提寺であり、境内の裏手には胴塚もある。(首塚はまた別の場所にある模様)
静かな心安らぐ場所です。太田道灌公のお墓があります。
太田道灌の墓があるのがこのお寺でした。
住宅街にある趣のあるお寺です。
住職は真面目だけど気さくな人です。
しだれ桜が素敵なので、訪れるならゼヒその時期をオススメします。
| 名前 |
洞昌院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0463-93-0308 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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江戸時代の紹介文によると道灌の墓は他にもあるが、当院に埋葬したことはその証があると紹介されている。お墓は古いものなので、当時のものではなく、修復という意味での後世による再建であるようだ。❶【参考 新編相模風土記稿 1830年】洞昌院 江戸時代のこの院の紹介文開基は太田道灌。[太田道灌墓]五輪塔、高さ1m5㎝(3尺5寸)余り。かたわらに古松2株。1つは囲い4m85㎝(1丈6尺)もう一つは囲い3m(1丈)ある。考えるに石塔の様子は、当時のものではなくて、後世の建てた物であると見える。下村浅間神社の別当の大慈寺にも、道灌の墳墓があるけれども、当院に埋葬した事はその証あり。今も太田氏より禮奠(れいてん・死者の霊に供物をささげて祭る意味)あり。~道灌の歩みについての説明は省略~[朱印状の件]天正19年(1591年)寺領3石の御朱印を賜る。寛永6年(1629年)火災にあう。すべて焼け落ちる。寛永19年(1642年)再び3石の御朱印を賜る。(岡田淡路守重治推挙する)憧鐘 寛永6年の銘がある。本堂の廊下に懸けてある。[寺寶]鏡三面 太田道灌が所持していたと云われる。3面共に8角形にて至って薄い。裏に図が書かれている。△鐘楼 延寶6年の鋳鐘を掛ける△開山堂 △衆寮 △稲荷神社 △白山・金比羅・秋葉・毘沙門・不動合社△尖塔 龍光寺、正覚寺[鎮座地] 上粕屋村[號] 蟠龍山公所寺 (公所は寺辺の地名である)[宗教] 曹洞宗 津久井縣根小屋村功雲寺 末[開山] 崇旭 長禄2年(1458年)3月15日卒[開基] 太田左衛門太夫持資入道道灌 文明18年7月26日卒。法名_洞昌院心圓道灌[中興] 陽室照寅 天文8年(1539年)7月2日卒[本尊] 釈迦。