子宝の御利益、比比多神社で実感!
子易明神 比比多神社の特徴
明和五年奉納の狛犬が印象的で、古き良き歴史を感じる神社です。
子宝安産の守護神として知られ、ご祈祷を通じて多くの人々にご利益があります。
駐車場から徒歩30秒、自然に囲まれた落ち着いた雰囲気が魅力的なスポットです。
こちらも由緒正しき延喜式内比比多神社の論社ということで、御利益云々は取り敢えず置いといて、子易近辺の散策には外せない場所であります。上下子易村の鎮守様ですし。このお宮が子宝や安産に御利益があるというのは、子易(子安)という地名によるものか、はたまた神社の御利益あっての地名なのか。これだけ古いとどちらか解りません。参拝者が拝殿の向拝柱をお守り代わりに少しづつ削って持ち帰るため、現在の柱は三代目だそうです。スゴいですね。階段を上がって左側に御神木の欅がありますが、是非道路側から玉垣越しに見て下さい。圧倒されます。
2025-03-30 晴れ神奈川県の6社巡りで、初めて、参拝しましたが、間違えて、系列?ですが、別な神社に参拝してしまいました。後日、本来の6社に参拝したいと思います。新東名の出口から、すぐある、小さな神社です。駐車場も広くなく、3台くらいしか駐めれません。また、駐車場、ちょっと、歪な感じなので、駐車に自信が無い方は、お勧めしません。
2024.4【御祭神 】神吾田鹿葦津姫命(木花咲耶姫)【由緒】天平の頃(729〜749)、守護染谷太郎時忠が国の安土・子宝を願って勧請。安産の祈祷に霊験あらたかであったと伝わっています。後に、醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等が、天正18年(1590年)小田原落城時に失われたそうです。それ以降、神号を「易産大明神」又は「子易大明神」と称し、安産守護神として崇敬されています。神社の掲示板に書かれていますが、氏子数が少なく改修が大変だったそうです。現在の拝殿は美しく見事に保たれているので、しっかり崇敬されて守られている神社なんだなと思いました。
境内社の左右に有る狛犬明和五年奉納と刻まれています、1768年なんと、256年前の狛犬です、こぶりな造りですが見応えたっぷりな顔立です。
駐車場から30秒、輪っかあるからくぐると御利益。
江戸時代の書に神木の幹より小貝を出す、とある。子易貝といい、安産の符としてほしいものに与える。とある。一体どのようなものなのか。現在でもあるのだろうか❶【参考 新編相模風土記稿 1830年】子易明神社 江戸時代のこの神社の紹介文村の小名 子易、及び隣村上下子安の鎮守である。天正19年11月 2石の御朱印を賜る。[延喜式]当郡4座の内、比々多神社であるという。(華表に、比比多神社子易大明神の額を掲ける。文化元年(1804年)吉田2位良連書す。)考えるに、三ノ宮村の三ノ宮明神も比々多神社というと社伝にある。両者共に証とすべき事がないので、いずれが正しいとは、決めることは難しい。とある。[伝説として]相伝える、天平年中(729年~749年)に、当国主_染屋太郎時忠という者、社頭造立の志願があったが、果たすことなく卒す。その妻もうでて 安産守護の霊験をこうむりし事あれば、夫の志(こころざし)を継ぎ、やがて社頭以下造営したという。[神木と小貝]神木2株 1株は囲い4.8m(1丈6尺)、1株は囲い4m(1丈3尺)であり、幹より小貝を出す。子易貝といい、安産の符としてほしいものに与える。[神主鵜川大隅]吉田家の配下である。先祖は鵜川丹後という。寛永年中卒小田原北条氏の家臣にて当社神主を兼帯していたが、小田原落城以後、当所に移住した。家康の関東入国後、更に神主を命ぜられた、という。[鎮座地] 上粕屋村[祭神] 神吾多鹿葦津姫命[例祭日] 6月15日(大祭) 7月7日(子祭)[社殿および] 幣殿、拝殿、神楽殿、供所等がある。[境内神社] 熊野社 稲荷社 稲荷社 山王社 天満宮 弁天社。
境内に背の高い御神木、梛の木があります。御朱印をいただけます。
本当にご利益が有ります。三男夫婦に結婚後6年間子宝に恵まれなかったが比比田さんに参拝したら7年目に男の子が誕生しました。それから2年後、このほど第二子を宿ったので、第一子の誕生報告と第二子の安産祈願を兼ねて参拝に訪れました。次に誕生報告に来れる事を心待ちにしています。
2021/11/29[[子宝安産の守護神として日本で稀な神社]]の触れ込みがあります。御祭神は木花咲耶姫命。木花咲耶姫命の父の大山祗命の「木花咲耶姫命を思う親心」の部分が、私は強いかなと思いました。御神木の中に祠があります。温かく穏やかな空間です。併せてご挨拶されるといいと思います。神社の名前は、比々多神社ですが地域の名前を頂いているようです。大山阿夫利神社に行く前に、娘である木花咲耶姫命のいるこちらでご挨拶されてから、父の大山祗命のいる大山阿夫利神社へ行かれるのもオツなのではないかと思いました。
| 名前 |
子易明神 比比多神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0463-94-0079 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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比比多神社(ひびたじんじゃ)。神奈川県伊勢原市上粕屋。式内社(小)論社。別名「子易明神」(こやすみょうじん)。主祭神:神吾田鹿葦津姫命 (かむあたかあしつひめのみこと、木花咲耶姫)資料によると、天平(729-749)の頃、当国守護染谷太郎時忠が国の安土・子宝を願って勧請。安産の祈祷に霊験あらたかであったと伝わっている。後に、醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等が、天正18年(1590年)小田原落城時に失われた。それ以降、神号を「易産大明神」又は「子易大明神」と称し、安産守護神として崇敬された。式内社である比比多神社のもう一つの論社は同市三ノ宮に鎮座する比々多神社。比々多神社の社伝では「比比多神社」と書かれた古額があったのを子易明神社の神主に貸したところ返さず、子易明神社にこれを掲げて式内社と称したとの話を紹介している[2]。ただし、この話には証拠はない。拝殿の柱は、かつて安産のお守りとして参拝者が少しずつ削って持ち帰ったため(現在は禁止)、細くなっている。とあります。