延喜式内の名神大社、多珂神社。
多珂神社の特徴
南相馬市原町区の多珂神社は、延喜式に記載された名神大社です。
大きな鳥居が印象的で、静かで落ち着く空間を提供しています。
東日本大震災からの復興を見届けた歴史の深い古刹です。
福島県南相馬市原町区高城ノ内地内の常磐線踏切西側南南で橋の北側に大鳥居のある多珂神社です。御利益は延命長寿・願望成就・家内安全・安産成就・海上安全・大漁満足などの御神徳がある。戦勝祈願の為観請されたと由緒があり特に選挙での必勝祈願が多い。末末社は社殿の中に八坂神社と稲荷神社がおさめられています。東側には御神木と雷神社。青麻大権現(青麻神社)石碑があります。延喜式内社八座の主座で東北地方の多賀神社の根源です。特に大きな鳥居にとても立派な社殿があり丁寧に手入れされていました。
静かで落ち着く空間でした。感謝。ちょうど通り雨が降って、歓迎をうけました。
後醍醐上皇が制定した延喜式神名帳全国を代表する神社です。凛としたものと地元の方々の地元愛の気を感じました。
延喜式名神大社であります。平安時代の昔、陸奥国行方郡と呼ばれていた頃の延喜式神名帳に記載された歴史がある神社です。とても静かな境内です。七福神の石像があります。北側から神社へ行く道の途中には大きな鳥居があります。
東日本大震災から8年、除染作業もされてます。誰も居なくて静かな神社境内でした。
延喜式に記載の古刹。
太田神社へお参りへ行く途中で「ふぉぉぉ!何じゃあのでっかい鳥居は(;゚;Д;゚;; )」っと見つけお参りさせて頂きました。御朱印が頂ければ嬉しかったのですが、また何かの縁で訪れ頂ければいいかなぁっと思いました。
延喜式内の名神大社に列せられる多珂神社。今は相馬小高神社の兼務社ですが、原発事故や宮司様の体調不良もあり無人である事が多い模様です。例大祭の時に御朱印が授与されるそうです。
川の手前の鳥居の大きさには驚きます。人工が少ない地域にも関わらず、八百万の神々を大切に奉る、この地域の住民さんは素敵です。
| 名前 |
多珂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0244-22-7312 |
| HP |
https://www.instagram.com/explore/tags/%E5%A4%9A%E7%8F%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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多珂神社(たかじんじゃ)。福島県南相馬市原町区。式内社(名神大)、旧県社。主祭神:伊邪那伎命。相馬藩内の郷土史資料である『奥相志』によれば、伊邪那伎命の荒魂である「多珂荒御魂命」を祀るとする。資料によると、多珂神社は、陸奥国行方郡に鎮座する延喜式内社八座(多珂神社、鹿島御子神社、御刀神社、益多嶺神社、日祭神社、高座神社、冠嶺神社、押雄神社)の首座にある。「多賀神社」の名を持つ神社の中で、全国で唯一の名神大社の位が与えられている神社であり、東北地方の多賀神社は、当社を根源とするものだという。日本屈指の古社で東北各地の多珂神社の根源という。由緒は不詳だが、創建は景行天皇40年に、東征のためにこの地を訪れた日本武尊により、戦勝祈願のために勧請されたと伝えられる。現在の鎮座地の北西にある古内地区には太田川が流れており、そこには「大明神河原」という場所があるという。往古の社地は大明神河原の南の丘陵地にあったと伝わる。仲哀天皇7年2月、暴風雨により社殿が流されて大破し、近くの太田川の岸辺に漂着した。同年9月に芦野平(現在の鎮座地である城ノ内)に遷座した。幣殿の格子天井には動植物や人物などの彩色絵画が施されている。また、正月三が日の期間のみ幣殿の本殿御扉前に護摩壇が設置され、そこで護摩祈祷が執り行われる。護摩祈祷では、神札や授与品などを直接護摩の炎にかざしての祈願が行われる。とあります。参考として、大化改新以前、北茨城市の地域は多珂国に属していた。『常陸国風土記』(以下風土記と称す)によれば、その領域は久慈の境の助川(日立市助川町)から陸奥(むつ)国石城郡苦麻之村(福島県双葉郡大熊町熊)までもあった。成務天皇の世に多珂国造に任じられた建御狭日命(たけみさひのみこと)は、この地を巡歴して地勢をみたところ山の峰は険(けわ)しく、高いので「多珂の国」と名付けたという。また『風土記』には「建御狭日命という人は、これすなわち出雲臣(いずものおみ)と同族である」と記されている。『国造本紀』にも、成務朝に弥都侶岐(みつろぎ)命の孫弥佐比(みさひ)命を高(多珂)国造にしたとあり、建御狭日命と弥佐比命は同一人物と思われる。とあります。