荘厳な趣、閖上湊神社。
多賀神社の特徴
仙台地方で一番古い神社として、由緒正しき存在感があります。
こじんまりとした神社で、静かに参拝できる落ち着いた雰囲気を提供しています。
趣のある古い境内で、地元の神様に初詣や御朱印を楽しむことができます。
住宅地の中にありますが荘厳な雰囲気で素晴らしかったです。お願いごとも程なく叶ったため、お礼参りに行きたいと思っています。
御朱印直筆300円兼務されている閖上湊神社でいただけます。
閖上湊神社で御朱印を戴きました。境内社なのかと思っていたら別の敷地とのことで、後からこちらへ移動してお参りしました。
名取にある神社。かなり古くからの神社みたいですが、もう少し手入れされてると良かったな~と言うのが一番ですかね。行った時は誰もいなく、電話しても出なかったので、御朱印やお守り欲しい方は前もって連絡入れてた方が良いかと思います。
こじんまりとした神社です。ゆっくり参拝させて頂きました。
地元の神様に初詣しました今時。おみくじ50円は珍しいです。お正月だけのようです。
古い神社で大変趣きがあります。境内にだるまが並んでおり、雰囲気が良かったです。
車で行ったのですが、入り口が分かりにくかったです。
赴きのある神社。幹線道路から細い道の奥にあり初見では車で入りにくい場所にありました。御朱印いただきました。
| 名前 |
多賀神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
022-385-0804 |
| HP |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010291 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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多賀神社(たがじんじゃ)。宮城県名取市高柳下西。式内社(小)論社、旧郷社。【祭神】伊弉諾尊 伊弉冉尊(配祀)熊野加夫呂櫛食野命 天照皇大神 速須佐男命 応神天皇資料によると、第12代景行天皇28年2月に日本武尊による東征の際に勧請されたと伝わる。伊弉諾尊と伊弉冉尊を主祭神として祀る。第21代雄略天皇2年(458年)11月に祭祀田として圭田58束を奉り祭礼を行ったという。ここまでの由緒は、仙台市太白区富沢の多賀神社とおよそ共通する。この両社が、式内社「多加神社」の論社である。ただし、当社の東には、雄略天皇2年に賜った祭祀田にちなむ「圭田」という地名が残されている。由緒によれば、日本武尊が東征のために奥州へやってきた時、相次ぐ戦いや長旅によって重い病気を患った。その時、柳の生い茂る温暖な地で祭壇や祠を設けて病気平癒を祈願したところ回復し、無事に大和の地へ帰ることができたという。その病気平癒や国家安寧を祈願した祠が当社の始まりと伝わる。当社の北には日本武尊が戦勝祈願のための祭壇を設けた場所「皇壇原(こうだんがはら)」が今も残る。鎮座地名の高柳もこの由緒にちなむ。また、当社の南東970mの民家敷地内には日本武尊の御神霊を祀る白鳥神社が鎮座している。藩主や陸奥国守からも尊崇を集め、明治4年(1871年)2月には郷社に列した。富沢の多賀神社との間での式内比定論争がたびたび起こったという。『新撰陸奥風土記』には下記のようにある。多賀神社は富沢村にあり今は高柳村に鎮座するという。しかし、高柳の多賀神社は往古は「若宮八幡」と呼ばれていたものを多賀神社へ改称したものである。そのためか、明治22年(1889年)の論争においては、富沢が式内社に認定され、当社はその社領のあった地とされた。富沢が西多賀、高柳が東多賀とも。その後幣帛供進社に指定された。現在では、近隣の神社の御祭神である熊野加夫呂櫛御食奴神・天照皇大神・速須佐男命・応神天皇を合祀している。例祭は5月1日。境内には、社殿として拝殿・幣殿・流造の本殿があり、御神門、社務所がある。とあります。