夢窓国師の古刹で御朱印を。
光明寺の特徴
開山夢窓国師による歴史ある古刹です。
津久井観音霊場第32番に位置しています。
御朱印を快く揮毫していただけました。
津久井四十三所観音霊場 三十二番札所 臨済宗建長寺派 聖観音菩薩。
開山 夢窓疎石による古刹。かつてはし七堂伽藍と僧房36の大寺院だった。数々の歴史を誇ります。写真は除夜の鐘と9月30日の開山忌の本堂。
義父や親類のお墓があり、大変お世話になっております。境内(庭)のお手入れもしっかりされていて清潔感漂います。また自然の雰囲気も抜群です。住職も気さくな方で話しやすいです(^^)
津久井観音霊場第32番、金徳山光明寺。開基は足利尊氏。開山は夢窓国師。早戸川の管理釣り場帰りに参詣。ご住職より、快く御朱印を揮毫して戴きました。
ここは二十年来前を通るたびに気になっていた古刹。その理由は寺の正面の美しい石垣。非常に素晴らしい石垣は、見る者の心をワシ掴みにします。(石垣は新しい時代のものと思われますが)面白いのは正面から山門を見て右側と左側で石垣の造り(趣き)を変えている事です。凝った演出です。こうゆうちょっとした事が、訪れる人の心をくすぐるものです。このお寺自分は勝手に「石垣の寺」と呼び、ずっと心の隅で気になっていました。やっと訪問です。予想通り素晴らしい寺でしたね。金徳山光明寺。開基は足利尊氏なのでそこかしこに足利二つ引の家紋が見えます。開山時期はさらに古く、創建は建久年間の(1190~1199年)鎌倉時代の初期です。鎌倉建長寺の末寺で、江戸時代には建長寺末の四大寺院として大きな勢力を誇っていとか。寺の建造物自体は戦国時代の武田氏と北条氏の三増合戦の兵火で消失。なので江戸時代〜大正時代の再建物だそうです。(何度か兵火や火災で消失、そして再建を繰り返した様です)しかしながら、入った瞬間…いや山門の前から素晴らしい寺の匂いがプンプンです。小さいお寺ですが行って損無し素晴らしい古刹です。やや中はあっさりした感じですが、そこはかとなく品位を感じる事でしょう。一段上がった場所の無縁仏の供養塔横には樹齢200~300年の大樹有りです。
青山神社さんの近くにあるお寺さんです。先にお電話をして、御朱印をお願いに伺いましたが丁寧なご対応でした。素敵な外観で、六地蔵様がお迎えして下さいます。山門をくぐり左手に『鐘つき堂』『社殿』、右手に『庫裡』があります。御朱印は、素敵ですので是非お近くに行かれた際は伺ってみて下さいね!
平日の為、訪れる人は居ませんでした、御朱印は頂きました。
檀家じゃありませんがよく利用しています。正面は階段がありますので体の不自由な方は駐車場横の道から本堂に入られた方が安心です。門は閉じていませんのでいつでも入れるみたいですが念のため断ってから入門してください。
| 名前 |
光明寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
042-784-0519 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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令和八年(2026年)午歳の御開帳で津久井観音霊場の参拝にお伺いしました霊場第三十二番札所になります。金徳山光明寺(きんとくさんこうみょうじ)といい臨済宗建長寺派のお寺で御本尊は地蔵菩薩になり観音霊場御本尊は聖観世音菩薩になります、御本尊の地蔵菩薩像は鎌倉仏師運慶の作と伝わる像になります。光明寺は建長寺派の中本寺で末寺になります、由緒には旧称が「桐谷宝積寺」と号すとの記載があります。桐谷宝積寺は鎌倉時代の建久年間(1190年~1199年)に退耕行勇(たいこうぎょうゆう)和尚によって創建されたと伝わります。一説では開基は足利尊氏公と伝えられるそのため寺のあちこちに足利氏の家紋の二つ引きが見えます。嘉元三年(1305年)夢窓国師(臨済宗の禅僧)が光明院を開山創立したが、武田氏と北条氏の三増合戦の際に兵火により堂宇が全焼したその後桜野の地に再建し金徳山光明寺と改称したと伝わります。