蒔田城の面影、歴史を感じる道。
蒔田城の特徴
蒔田城はかつて吉良氏が統治していた歴史的な城跡です。
今は横浜英和学院が存在し、立ち入ることができません。
蒔田城と勝国寺は小田原征伐に関連した場所となっています。
お城EXPOの流れで行ってみました。麓の勝国寺に、吉良氏館跡としての説明板や吉良氏の供養塔があります。吉良氏館跡が蒔田城跡なのか、横浜英和学院が蒔田城跡なのか、といったところはあるのでしょうが、時代的にはここが詰城といったところでしょうか。よく調べてはいませんが。何かしら目印か説明板が欲しいところです。
かつて、吉良氏が統治していたと言う事ですが、現在は横浜英和学院があるので立入る事は出来ません。山城であったと伝わっています。
殆ど史跡はなく申し訳程度に説明看板があるのみであった。ただ城跡の丘から見れる遠景は見るべきところがある。また蒔田城に関係がある勝国寺は訪れてみたほうが良い。
もはや「面影すら無い」と多くの先輩方の云われる通り、道と樹木のみが往年を伝える。若い樹にたとう子供たちのはぐくみの園として未来を眺める地として今に至る。
【蒔田城と勝国寺、小田原征伐に関連あり】秀吉軍小田原征伐の北条軍の城とその城主の墓案内板は勝国寺に有。
戦国の城館を築くのに相応しい場所。寺のお墓から学校に上がって行くと、右手が吉良氏居館跡の英和学院。更に右手に行くと、切岸と帯曲輪の跡らしき通路がある。学校正門左手に案内板あり。
城址の主要部分は校有地になっている。戦国時代、吉良氏が小田原を本拠地とする北条家の家臣として城主となり、東京(江戸)湾対岸の房総半島に勢力を広げ北条と激しく対立していた安房里見氏への防備を主たる任務としていたそう。今では想像もつかないが、この辺りは当時はかなり重要な拠点だったようで、当の吉良家には北条氏康その人の娘が嫁いで来ている。横浜市らしく城の遺構はほとんど遺っていないが、高台からの見晴らしはなかなかのもの。
学校の敷地内なので、入れ無かった。
戦国時代に北条家の影響下で、一時的に鎌倉公方代行を勤めた蒔田吉良家の室町時代後期戦国時代の居城。その役割から同地は蒔田御所とも言われた。又、縄文~弥生時代の旧成美学園遺跡も有ったが学校建設で城址遺構も古代の遺跡も失われた。しかし、要害性の高い丘で有る事は周辺を歩くと良く解る。近くに蒔田吉良家の戦国時代の菩提寺勝國寺も存在する。
| 名前 |
蒔田城 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
045-671-3284 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
2.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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こちらは2025年08月19日の訪問となります。南区にある城址ですね。かつて蒔田を領有した吉良家の居城があったとされます。横浜英和学院周囲がそうだったとされ、空堀や腰曲輪と見られる場所があるとか(画像内にそれがあるかはわかりませんが……)。吉良氏は南北朝時代で有名な足利市の分家で、子孫にはあの吉良上野介がいるそうです。少し高台なのでそばからの景色はなかなか。かつての城からの景色が想像できるかもしれません(建物ばかりですが)。