北条政子の美意識を探る。
西向山乗蓮寺の特徴
北条政子に由来する歴史深いお寺で、参拝が楽しめます。
鎌倉幕府初代征夷大将軍の正妻が建てた草庵の始まりです。
住吉神社のすぐ近くに位置し、アクセスが便利です。
保土ケ谷にも化粧に使ったという井戸があるので、北条政子は美に対する意識というか執着がかなり強いのだろう。訪問時は他に参拝者も見当たらず静かだった。大河で名前が出れば人出は増えるかもしれない。
歴史の深さを、再考出来ます。
北条政子御手植えの榧の樹がある。井土ヶ谷の地名の由来の井戸がこの寺らしい。
住吉神社のすぐ近くにある北条政子由来のお寺さんです。思っていたよりも近代化していますね。
鎌倉幕府初代征夷大将軍の正妻、北条政子様が承久の乱の折り鎌倉から離れ別宅の草庵を建てたのが寺院としての始まり。この地の井戸水のみ良質だったので居住地にしたそうだ。その井戸は現存し井土ヶ谷の町名の由来にも成った。江戸時代初期には駿河蒲原代官、そして現在の横浜市沿岸部の代官の本牧奉行を務めた間宮忠次公が旦那だった事が記録に残る。間宮忠次公が務めた本牧奉行間宮家は戦国時代に北条家臣相模十四騎筆頭の旗本でした。居城は乗蓮寺から6km前後離れた場所、洋光台1丁目~笹下4丁目に存在した笹下城でしたが2016年に三井不動産レジデンシャルにより空堀に盛り土され本丸の切岸も盛り土され消え失せた。
明るく開放的で 奥に幼稚園があり 近代的になっていました。
鎌倉幕府初代征夷大将軍の正妻、北条政子様が承久の乱の折り鎌倉から離れ別宅の草庵を建てたのが寺院としての始まり。この地の井戸水のみ良質だったので居住地にしたそうだ。その井戸は現存し井土ヶ谷の町名の由来にも成った。江戸時代初期には駿河蒲原代官、そして現在の横浜市沿岸部の代官の本牧奉行を務めた間宮忠次公が旦那だった事が記録に残る。間宮忠次公が務めた本牧奉行間宮家は戦国時代に北条家臣相模十四騎筆頭の旗本でした。居城は乗蓮寺から6km前後離れた場所、洋光台1丁目~笹下4丁目に存在した笹下城でしたが2016年に三井不動産レジデンシャルにより空堀に盛り土され本丸の切岸も盛り土され消え失せた。
| 名前 |
西向山乗蓮寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
045-742-2221 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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こちらは2024年07月22日の訪問となります。南区井土ヶ谷の住宅地内にあるお寺さんで、北条政子が掘らせたとされる井戸が有名です。”井土”ヶ谷という地名はここが由来らしいですね。政子は晩年、女人と子供の守護仏にならんと決意して自分の像を彫ったそうで、その像がこの寺にあるとか。余談ですが奥は幼稚園となっています。シンプルですがまとまった良い境内だと思います。