500年の歴史を感じる三重の塔。
永林寺 大石氏居館跡の特徴
何百年前の歴史を感じるファンタスティックな場所として人気があります。
武相卯歳観音霊場での参拝体験が魅力的です。
1532年創建、曹洞宗の釈迦如来が本尊です。
何百年前にこの地で先人が生きていた伊吹を感じられるファンタスティックな場所です。歴史のロマンを感じられました。
500年くらい前に建立された歴史ある寺だが、5月末に訪問した時は自分以外誰もいなかった。武人の像は特に印象に残る。
本当にスケールの大きな仏閣で歴史ロマンを肌で感じ取れる格式ある見事な仏閣でしたね!永林寺は、元々「柚木城」と呼ばれる「大石定久」の居城で、定久が滝山城に居城を移し「柚木城」を出家した叔父の「一種長純」に譲りこの地に寺として創建した様です!後に大石家の養子となった「大石氏照」(北条)が諸伽藍を整備し、1591年北条家の後に関東に入った「徳川家康」が参拝に来て朱印10石と公卿10万石を与え「永燐寺」の名称から「永林寺」に名称を変更したと記されています!そんな歴史ロマンある永林寺の総門は、朱色の総門で徳川家康が特別に許可した朱色を使用した総門で「柚木の赤門」と呼ばれていますね!その赤門を潜ると整然とした十六羅漢像が出迎えてくれます!羅漢像の奥左には、女性版の布袋様が笑顔のお姿で祀られていて普通に近所にいる人の良いお婆さんに見えます(笑)羅漢像を後にして進めば「三門」があり、三門両脇に仁王像が睨みを効かせています!仁王像に手を合わせて更に進めば「朱雀門」があり朱雀門上部に鳳凰の木工彫刻が彫られていますね!最後の朱雀門を進むと眼前に現れるのは、永林寺の本殿です!永林寺は、曹洞宗のお寺で正式名称「金峰山永林寺」で武相卯歳観音霊場四十八箇所の四十一番目の札所になります!参拝の前に良く手入れされた境内で深呼吸をして雑念を体から吐き出して本殿に挨拶と祈願をして参拝は、終了です!参拝が終わった所で高台にある三重塔を目指して進みます!三重塔のへ続く参道は、階段がメインの道ですが、以外と楽に進めますよ!参道を登り進んだ先に朱色の三重塔が堂々な姿で見る者を威圧します!天高く登る三重塔で手を合わせてから休憩を取り、小高い丘から観える永林寺を眺めて赤門に戻ります!素晴らしいお寺でしたね!歴史的建造物豊富で眺望も良しな永林寺!正直にお勧めは?と聞かれたら「全てです!」と答える自信ありですね(笑)それだけ時間を忘れて歴史ロマンを探求出来る場所なんですよね!十六羅漢像、仁王像、所々に隠れている石像や地蔵菩薩像と石像の数も半端じゃなく一日程度で永林寺を語る事が出来ませんね!言える事と言えば「柚木の宝」と誇らしく言える事ですかね?取り敢えずは、皆様も柚木にある永林寺に歴史ロマンを探しに来てみて下さいね!今回は、時間がなく「柚木城跡」には、行けませんでしたが出来れば皆様の足と目で確認して下さいね!最後に「夏草や兵どもが夢の跡」それでは、皆様に永林寺の加護がある事を願い筆を置かせていただきます。
武相卯歳観音霊場開扉で参拝しました。大石源左衛門尉定久公の居館(由木城)を定久公が滝山城に移るに至り、叔父である一種長純大和尚に譲り天文元年(1532年)3月永鱗寺として創建。総門を抜けると両サイドに十六羅漢様🙏、三門、中雀門と続き本堂前へ以前参拝した際に中が気になり参拝できるか尋ねましたがダメ🆖でした。😢(外からでも力強さを感じます😲)観音様は「三重塔へ移動しました」の表示を見つけ上に上がると沢山の仏様の上に聖観世音菩薩様が祀られてました。🙏智海禅師により文政6年に造られました。🔸武相卯歳観音霊場 41番札所。
1532年、大石定久公の居館だった柚木城を滝山城に移るにあたり、叔父の大和尚に譲り、永麟寺として創建された曹洞宗のお寺です。1591年、徳川家康巡拝の際に、朱印十石他受領、赤門の建立も許可される。また永林寺に改名。現在に至るそうです。大石家丸に三つ星、北条家三つ鱗、天皇家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵の紋を有するお寺です。他にも豊川稲荷や建立は昭和と新しいですが、三重塔もあります。寺社巡りが好きな方には、穴場の場所ではないでしょうか。奥には城跡もあり、周辺を軽く散策できます。
最寄り駅 京王線橋本行 南大沢駅5番バス乗場より、聖蹟桜ヶ丘駅行(桜80)さんもり橋下車、徒歩5分程拝観料は無料宗派 曹洞宗 本尊 釈迦如来1532年(天文元年)、大石定久の開基である。当地は元々「由木城」という城で、定久が居城としていた。定久が滝山城に移ったので、旧由木城を叔父で出家していた一種長純に譲った。一種長純はこれをもとに寺を創建した。1546年(天文15年)、定久の養子になっていた北条氏照が諸伽藍を整備した。1591年(天正19年)、後北条氏に代わり関東の新領主となった徳川家康が当寺を参詣し、朱印10石、公卿10万石の格式を与えた。天正十五年後陽成天皇より勅願寺の綸旨を受け護国殿の勅願を受ける。天正十九年九月徳川家康公が当寺に巡拝された折り、朱印十石、公卿格式拾万石を授けられ、赤門の建立が許可された。 との事です。禅宗の特長で一直線に並んだ配置許しが無いと出来ない赤門(総門)、三門、中雀門(勅使門)、本堂に連なり赤門から山門まで十六羅漢が並び、三門には仁王像が向き合っています。勅使門だと基本開放していないのですが途中にあるので開いているのか、身分不相応ですがくぐりました。朝廷、北条、徳川と関わりがあったとは凄いお寺ですね。居城跡に作られたそうですが、肝心の居城跡はお墓の裏側にひっそりとあり石碑以外は特に何もありませんでした。三重塔が高台にありそこから境内が見渡せ一見の価値はあると思います。
信濃国佐久郡大石郷を発祥とする豪族•大石氏の居館が有った場所です。戦国時代の武将なのであくまで自称ですが信濃大石氏の本姓は清和源氏•木曾【源】義仲流だそうです。大石氏は山内上杉氏と小田原北条氏の家臣。大石定久公が有名らしいです。石像が立っています。裏山が大石氏の山城で由木城でした。そしてこの寺の辺りに居館が有りました。今は館などの遺構は残っていません。北条氏の家臣時代にここ由木城から近くの滝山城へと大石氏は移り、その際に大石定久は出家していた叔父にこの場所を譲りました。そして1552年創建されたのが、この永林寺でした。北条氏の後は徳川氏の庇護も厚かった様です。今、寺の中には北条氏の三ツ鱗家紋と徳川の葵御紋の両方が見えます。北条氏、徳川氏の時代は元々は「永麟寺」と書きました。寺は立派な山門有り、十六羅漢有り、三重塔有りとなかなか見応えは有ります。(十六羅漢や三重塔は新しいものですが)雰囲気は非常に良い。力を持っていた豪族なのですね。寺は行って損は無しです。(地味に)因みに自分は良いと思います。又、裏山の山城も合わせて見学出来ます。詳細はグーグルマップ「由木城跡」を。山城好きな方は尚更行って損は無しです。(山城の入口は寺の一番奥。階段登ってさらに大石定久公の石像に向かって左手の方向に、里山に登る獣道の様な小径が有ります。登り始めたら、里山の中は自由に歩ける場所を歩く感じ)
4/5に参拝しました!10万石の格式門を許された総門を持ち伽藍はなかなか大きな規模です。武蔵守護代大石定久の居館跡や墓所もあります。
| 名前 |
永林寺 大石氏居館跡 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/003/001/003/p005287.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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あまり知らなかったけど、門をくぐって迫力に驚いた、三重の塔もあるし。もっと観光地化されていてもおかしくない、