東日本大震災の記憶を伝える。
野蒜駅跡の特徴
旧野蒜駅は震災の遺構として保存されています。
綺麗に整理された施設内で震災資料が展示されています。
電車大破の映像を通じて、当時の被災を実感できます。
東日本大震災の大津波の脅威を今に伝える震災遺構です駅舎の建物は震災直前に新築したばかりの鉄筋コンクリートであったため建物自体は流されずに済んだと地元の職員の方が仰っておられました現在駅舎は震災伝承館として東日本大震災の被災状況を克明に現在に伝えており駅舎周辺は震災メモリアルパークとして整備され被災されて亡くなられた方々の慰霊の地となっておりますなんか…この駅舎が大津波を受けてもなんとか持ちこたえたって話を職員の方がされたときの表情に東北人の根性と言いますか強い負けん気を感じましたほんまに「がんばろう東北」ですね❗
旧の駅がこことは知りませんでした。隣に資料館がありました。駅の南側には奥松島遊覧船乗り場があり、時間があったら乗りたかったです。
仙石線が高台へ移転される前の旧駅で、ホームなどはほぼそのまま残されていました。もちろん線路は前後で途切れていますが、駅名標もそのままでした。元駅舎は震災復興伝承館として開館していて、震災に関する展示の他マンホールカードの配布場所にもなっています。特に破壊されたままの券売機が生々しいです。行った時に借りたレンタカーが古い車だったため、野蒜駅で案内開始するとここに案内されてしまったのが、また哀愁を誘うところで・・・。
友人が野蒜で被災しご家族を亡くしました。今回初めて野蒜にきました。当たり前のようにそこにあった日常風景が、なくなってしまう。時が、あの日のままで、心が締め付けられました。それと共に、今は前に向かって歩んでいる野蒜の景色はまた、それは優しくて美しいものでした。
東日本大震災津波で被災した仙石線旧野蒜駅を見学できます。発災から50分で到達した津波の脅威を施設を見学することで体感でき、垂直避難の大切さを実感できます。なお同線は復興後、高台に移動しています。
偶然通りがかりに見つけたのですが、現在綺麗に整理されていますが、震災時は電車がレールから流れ、たくさんの木々が打ち寄せたのが、展示物を見ることで知ることが出来ました。
宮城県にある旧野蒜駅。3.11で破壊された当時の駅がそのまま残されています。当時の被害がどれぐらいのものだったのかを後世に残すために保存されています。
この施設は、東日本大震災の津波によって壊滅的被害を受けた旧・野蒜駅を中心に、東松島市の震災被害の全容を保存するための施設として生まれ変わったんですね。(現在の仙石線は、ここよりずっと内陸に付け替えられて運行されています)さて、伝承館の外壁には、この地点の津波浸水深=3.7mを表す看板が設置されていました。自分の身長の約2倍の高さまで一気に押し寄せる、水の恐怖を想像すると、やはり圧倒されますね。建物を通り抜けて裏手に出ると、当時のプラットフォームが保存されていました。「この場所に確かに駅があったんだ」と、感慨深かったです。敷地内は、もちろんがれきは撤去されていますが、線路その他の鉄道施設は当時のままだそうですよ。どんな方々が行き交い、どんなドラマがあったのか・・・なんて、想像が膨らみますね。伝承館の中の展示は、旧・野蒜駅や東松島市の震災被害を伝える展示が充実しています。個人的には、シアタールームで上映されていた、2012年6月に収録された語り部さんのビデオが特に興味深かったですね。見ている途中で涙が溢れて止まらなくなってしまいましたが、「あの日」を生き抜いた方だからこそ語れる言葉に、ものすごい衝撃と感銘を受けました。ぜひ時間を取って、じっくりご覧になってください。
現在の野蒜駅から歩いて10分くらいのところにあります。曲がった駅の看板、線路などがそのまま残っています。当時の駅舎だった部分では資料が展示されています。ホーム自体は柵で囲われていますが、駅舎の部分から入ることができます。無料です。ホームの上に乗ることはできませんが、ホームの周りをぐるっと一周できます。資料室の方には当時の写真や新聞や映像、流された券売機などが展示されています。
| 名前 |
野蒜駅跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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助手席の友人に野蒜駅を案内していただいたらここに着きました。自分が育った町の駅は震災で無くなりましたがこうして残すことは大事なことだと思います。