源頼朝の愛馬、駒を繋いだ由緒ある神社!
駒繋神社の特徴
鳥居をくぐると突然現れる、落ち着いた雰囲気の神社です。
源頼朝が愛馬を繋いだ松の木がある由緒ある場所です。
蛇崩川緑道沿いに位置する、散策にぴったりな神社です。
平安時代後期の1056年、源義家が奥州の安倍氏征伐(前九年の役)に向う途中、この地を通過する際に当社に武運を祈ったと伝えられており、少なくともこれより前に創建されたと思われます。1189年に源頼朝が藤原泰衡征伐のためこの地に寄った際に、愛馬から下りて駒(馬)を境内の松に繫いで戦勝を祈願したと言われたことから「駒繫神社」と呼ばれることになったそうです。
住宅地に佇む神社さまです。東横線、田園都市線の最寄り駅からはちょっと時間がかかります。暑い時期は、車かバスを使ったほうがよさそうです。このクチコミで何かと話題の宮司さま。犬と散歩しているマダムに怒っているところを目撃しました(境内は犬のお散歩禁止のようです)。なるほどな、と思いました(苦笑)
烏森稲荷の方から歩いて行ったら結構かかりました。祐天寺駅からも少し距離があるようです。敷地は解放感ありますが、他の方の口コミを読んだら夕方は立ち入れないみたいなので、早めに到着して良かったです。朱塗りの橋が映えるのか、写真を撮っている人が多かったです。
世田谷区下馬の蛇崩川緑道が蛇行する台地に祀られた駒繋神社。源頼朝が藤原泰衡を討伐する際に途中立ち寄り馬を繋いだことが名前の由来となっている。
中三谷の台地から北へ伸びた岬(根)の突端に鎮座しています。源頼朝が馬を繋いで戦勝祈願したことから駒繋神社となりましたが、もとは子の神社(ねのかみしゃ)であったとのことです。子の神とは、十二支の始まりであることから「生産」の神であり、あるいは、ねずみを使いとする大黒様とも解釈されています。ここから400mほど東に「子の神公園」があり、元の社号の名残りかと思われます。境内には、明治30年代に下馬の清水藤蔵氏が餅米の品種改良に成功した旨の説明板が設置されていたり、「下馬土地区画整理記念碑」が建立されていて、なるほど、稲作に関わりが深いことが示されています。とても穏やかで静かな空間です。
今、「鎌倉殿の13人」が放映されていますが、1189(文治5)年、源頼朝は奥州の藤原泰衡征伐のため鎌倉を発ち、当地を通過する際、祖先である義家が当社に参拝したのを回想し、愛馬である芦毛馬を境内の松の木に繋いで参拝したといいます。そこから神社の社号は駒(馬)繋神社となったといいます。鎌倉殿も後半に入りましたが、古を偲んで参拝いかがでしょうか・・。
散策をしていると神社がありました。一つ一つのことがとてもきれいに掃除がされていており、この地域の人がいつでも立ち寄っても心地よさと、その瞬間の解放ができるような気持ちになりました。周辺の歴史を学べましたのですごく良かったです。
源氏ゆかりの神社で子の神とされ安産祈願の御利益があるそうです。世田谷の下馬にあり、駒場、馬事公苑、駒留など何かと馬に因んだ地名の多い世田谷区です。
世田谷観音まで歩いていたらこちらの橋が突然目の前に…静かな神社でした。
| 名前 |
駒繋神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3414-8369 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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御朱印が頂ける神社。書置のものが頂ける。御朱印は拝殿前の社務所にて。境内社として招魂社も鎮座している。