江戸の水を見つめる石碑。
四谷大木戸跡の特徴
四谷大木戸跡には、玉川上水の水道碑記があります。
石碑は昭和34年に出土した地域の文化財です。
四谷見附をしのばせる貴重な遺構が残っています。
新宿区四谷。甲州街道の関所の跡です。大木戸とは関所の関門の事で、甲州街道に四谷大木戸があるように、東海道にも高輪大木戸がありました。大木戸には行き来する人たちの管理を行い、江戸の街の安全を守る役割がありました。この辺りは大木戸跡の他にも、玉川上水の水番所があったと言われています。玉川上水は多摩川の羽村堰から取水され、四谷大木戸あたりまでは開渠で、そこから江戸市中にかけては地下に埋められた石樋と木樋を伝って流れました。水番所の役人は水門を調整して水量を管理したり、汚染から水質を守る役割をしていました。いつの時代でも水は人々の暮らしの源です。水を守る仕事の重要性は今も昔も変わっていません。
甲州街道の四谷四丁目の交差点。江戸時代、この辺りには「四谷大木戸」と呼ばれた関所があり、現在、その碑が残されています。大木戸とは、江戸市中に出入りする人々を監視する為に幕府が設けた場所。通行人や荷物の取り調べを行なっていたと云います。またこの場所は、江戸市中に飲料水を供給する玉川上水の終着点。その為、四谷大木戸には水番屋(みずばんや)が置かれ、役人達が水質のチェックや水量の調整を行なっていたと伝わります。
正直これが何なのか理解していないですが、甲州街道を日本橋から歩いて来て、史跡巡りの途中で見つけました。
四谷大木戸の跡地です。江戸時代を彷彿とさせ、タイムスリップにいざないます。
玉川上水水番所と水道碑記と3つ文化財が存在する。どうやら幕末まであった番所の跡地であり、長く江戸の水道インフラを支えた玉川上水に関する顕彰碑が設置されているようである。ちなみに水道碑記にある徳川家達は徳川宗家16代目の当主であり、徳川慶喜が大政奉還による将軍職を降りて以降の徳川家トップの名である。
昭和34年に地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた石碑です。実際の大木戸はここより約80メートル東の四谷四丁目交差点のところにあったそうです。羽村から取水した玉川上水はこの四谷大木戸で地下に潜り、江戸城などに流れていました。近くでは、余った水を逃していた余水吐跡も見ることができます。本郷の水道歴史博物館に行くと、より詳しく知ることができますよ。
玉川上水にそってはるばる流れ着いたきれいな水を、ここにあった大木戸でどっちに流すか調節する「水番所」があったとのこと。ビルの角にあるので今はこの石碑でのみしのぶことができます。新宿御苑北側の散歩道にいろいろと説明が書かれています。
羽村堰からの土木工事に感服しました。
車で通っただけなんで どうこう言えませんが 東京の名所旧跡の一つです 歴史の好きな方だったら一度は行ってみるのも良いでしょうね。
| 名前 |
四谷大木戸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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江戸を出て最初の宿場の少し手前にあった3箇所のゲートウェイ(大木戸)のひとつで、ここは甲州道中にあった。ほかには中山道の板橋大木戸と東海道の高輪大木戸があった。玉川上水の石樋を利用してつくられた四谷大木戸跡碑石。