江戸の庚申信仰が息づく。
さわら庚申と道標の特徴
祐天寺近くで見つけた庚申堂のお堂が美しい。
瓦屋根が特徴的な立派なお堂に感動する。
三基の庚申塔が納められている歴史的な場所です。
ぶらり散歩まさかの三猿社に彫刻があり、素晴らしいと思える庚申です。
駒沢通り、目黒区中町付近、かつては蛇崩川のほとりであったと思われる場所です。堂宇は、本格的な作りで、かなり立派です。屋根の上では鬼瓦のひし形渦巻き紋を二猿が見守り、唐破風拝飾では二猿がひし形渦巻き紋を掲げ持っています。虹梁の上に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)。堂宇には3基の石塔が納められています。(1)向かって左に青面金剛。頭髪が逆ハート形。右上手の戟が摩滅気味、左上手に法輪。本手で合掌。下手には弓と矢。「元禄十丁丑□」(1697年)、「十一月十四日」上方に日月(逆様)、お月様が とうもろこしみたいな形です。(2)中央の青面金剛は、随分とスリムで柔らかい印象を与えていて、まるで観音像のようです。右上手に法輪、左上手に戟(通常と逆)、右下手に矢、左下手に弓、下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)。「元禄五年」(1692年)、「十一月壬申十五日」(3)一番右側は庚申文字塔。「献開眼歸命帝釋天王」「南無妙法蓮華経」「惟時寛文□三戊卯」(1663年)「霜月上旬」一番右の文字塔や堂宇の装飾は「さわら庚申」と「柴又帝釈天(題経寺)」の関係性を示しています。題経寺の紋は「雷紋」と呼ばれるひし形渦巻きなので、堂宇の二猿は帝釈天に帰依していることを示しているものと考えられます。一方、題経寺では、行方不明だった板本尊が見つかった日が庚申だったことから、庚申の日を縁日にしたという縁がありますが、それは1779年のことで、ここの板碑が建立されてから100年以上も後の話です。こちらには道標もあり、正面「お久沢 比もんや いけ可み 道」西側「古゛ほん木 ふたご 道」東側「あさふ 阿を山 道」と刻字されています。
祐天寺に行く気に見つけた、庚申堂。大事にされているらしく、お堂が立派。猿が可愛いです。
瓦屋根の立派なお堂に、三基の庚申塔が納められています。近くにさわらの木があったことから、「さわら庚申」の名称がつけられたとのこと。目黒区教育委員会が設置した説明板があります。庚申塔は、それぞれ寛文三年(1663)霜月、元禄五年(1692)十一月、元禄十年(1697)六月の建立です。別の場所にあったものが、いつの頃か集められ、お堂に祀られたと思われます。(2022年10月再訪)1年半振りに訪れ、今回、庚申堂前の道標を観察しました。摩耗が進んでいて文字の判読が出来ない箇所もありますが、「右 ごほん木、ふたご 道」などと書かれているのが読み取れます。この道標、江戸末期の建立だそうです。江戸時代の人達は、このような道標を頼りに旅をしていたのでしょう。貴重な史跡です。それにしても庚申塔を収めた堂舎、とても立派です。瓦屋根の鬼瓦、堂舎の梁に彫られた三猿はまさに芸術品。
非常に立派なお堂の中に3基の庚申塔が建っています。それぞれ1663年、1692年、1697年の建立だそうです。お堂右横には1850年代の道標も建っています。
史跡。駒沢通り沿いに立地。庚申塚です。
| 名前 |
さわら庚申と道標 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/koshinto/meguri/sawara.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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江戸期に流行った庚申信仰で、堂舎内に3基の庚申塔があり江戸初期から中期にかけて建立され、唐破風の瓦屋根、鬼瓦には装飾が施され、欄間には三猿が彫られた立派なお堂、隣にある道標は正面に、「おく沢 ひもんや いけかみ 道」、左面には「右 あさふ あを山 道」、右面には「右 ごほん木 ふたご道」と彫られていて江戸後期の物らしく、また、道標の後ろには昭和34年4月付けで現上皇が皇太子時代の御成婚記念碑も建てられている駒沢通りのランドマーク。