オーストリア伯爵家に触れる、ミツコの世界。
クーデンホーフ光子 居住地の特徴
オーストリア伯爵家との深い関係が学べる場所です。
パン・ヨーロッパ主義の歴史が感じられる居住地です。
碑や説明板があり、歴史を知る手がかりが豊富です。
何年も通っていた通勤路脇の公園。7
オーストリアの伯爵家クーデンホーフと日本の関係が学べます。史跡としては地形が残る程度ですが。
パン・ヨーロッパ主義を唱えた栄次郎の母の居住地。日本では栄次郎を矢鱈に「EUの父」として持ち上げる風潮がある。しかし、海外では、栄次郎を欧州統合の先駆けと考えることはあっても、「EUの父」と考える風潮は主流ではない。シューマン等の欧州統合に多大な貢献をした11人を父と称するのが一般的だろう。これはEC時代の名残で、EUの時代になった現在では、上記にシモーヌ・ヴェイユらを加えた14人を父(母)とする様である。これはEUの公式サイトにEU Pioneersとして纏められている。なお、一昔前は、デ・ガスペリ、スピネッリ、モネ、シューマン、ベック、アデナウアー、スパークの7人を父とするのが常だった。いずれにせよ、栄次郎はここに含まれない。
碑と説明板が建っており、説明板には下のように書かれている。この地には、初めて西洋の貴族と結婚した日本女性であるクーデンホーフ光子〔青山みつ〕(1874~1941)が、明治二十九年(1896)に渡欧するまで住んでいた。光子は、明治七年(1874)骨董商と油商を営んでいた青山喜八と妻つねの三女として生まれた。東京に赴任していたオーストリア・ハンガリー帝国代理公使のハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギーと知り合い、明治二十五年(1892)に国際結婚し、渡欧後は亡くなるまでオーストリアで過ごした。渡欧までの間、光子と共にこの地で暮らした次男のリヒャルト〔栄次郎〕(1894~1972)は、後に作家・政治家となり、現在のEUの元となる汎ヨーロッパ主義を提唱したことから「EUの父」と呼ばれている。
| 名前 |
クーデンホーフ光子 居住地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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フランス・パリのGUERLAIN社(ゲラン社)の香水「MITSOUKO(ミツコ)」の由来です。歴史家・小名木善行氏も解説していましたが、当時、この地に住んでいた光子(旧名:青山みつ)は、2軒隣のオーストリアハンガリー帝国公使館(海賊王であるハプスブルクの大使館)に勤めており、当時赴任してきた外交官・クーデンホフ伯爵が雪道で馬車ごと横転し、大ケガをした時に光子が献身的な看護をしたことがきっかけで恋仲になり結婚。日本政府に正式に届け出された国際結婚の第1号になりました。江戸っ子の町人であった父・青山喜八氏は娘の国際結婚に猛反対していましたが、当人達や周囲からの説得で承諾。その時に得た莫大な結納金で都内の霊園に巨大な青山家の墓をつくりました。あまりにも大きなお墓だったため話題となり、いつしか「青山さんのお墓がある霊園に向かう道」のことを「青山通り」と呼ばれるようになり、そのお墓のことを「青山墓地」と呼ばれるようになりました。結婚して渡航した光子は、その後、戦争がはじまり、帰国が叶うことはありませんでしたが、戦時中も現地でジャガイモを植え、夫や兵士を献身的に支えながら、日本人としての誇りを失うことなく「慎ましやかでありながら強い意思を持つ女性」として精一杯生き、生涯を終えました。ヨーロッパの日本ブームにおいて、よく「ミツコ」という名が登場します。ヨーロッパの現地では、「ミツコ」という言葉は日本語で「神秘」を意味すると認識されているようで、現地の小説や映画の登場人物、香水の名前などで一般的に使われています。その背景には、歴史を紐解くと、日本とハプスブルクとが初めて国際結婚をした女性としての光子と、伯爵の家柄の影響が非常に大きかったからだと推察されます。