目黒のサンマ、爺々茶屋の坂。
茶屋坂の特徴
急勾配の坂で、歴史を感じる場所です。
落語めぐろのさんまの舞台があったエリアに位置しています。
江戸時代に将軍が立ち寄った茶屋の由来を持つ坂道です。
茶屋坂は、落語「目黒のサンマ」のモデルになった「爺々ヶ茶屋」があったことに由来する名称です。広重の名所江戸百景にも描かれています。明治時代に山手線が通ると、この一帯には工場が建てられ、海軍の火薬製造所もありました。戦後、高台で展望の良い場所として高層マンションなどが建ち、街の景観は大きく変貌しましたが、海軍の跡地は防衛省の研究所として使われています。
かなり急峻な坂です。江戸時代、将軍が鷹狩りの際に立ち寄った、「爺々が茶屋」と呼ばる一軒茶屋がこの近くにあったのが由来だそうです。
昔この角にそれは素敵な日本家屋がありました。
落語好きなら。そうでないなら、単なる小さな坂です。
落語「めぐろのさんま」の舞台となった爺々茶屋がこの界隈に有ったそうです。それにしても、この坂の勾配は10%だそうです。
防衛省の研究所に沿った坂です。
落語目黒のさんまは目黒が舞台。恵比寿駅と目黒駅の間の辺りには江戸時代は原っぱで坂の上に一軒の茶屋があり、将軍様も度々休憩に立ち寄ったそうだ。今はその面影はないが、茶屋坂という名前が残り坂の途中に案内板がある。やはりこの辺りは目黒のさんまの舞台にであった。今も目黒のさんまは語り継がれている。
マニアでなければわざわざ行くところではない、小さな急坂。
江戸時代、将軍が鷹狩りの際に立ち寄った、「爺々が茶屋(じじがちゃや)」と呼ばれる一軒茶屋がこの近くにあったのが由来と言われている。(坂の標識より)
| 名前 |
茶屋坂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/saka/tobu/chaya.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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坂の途中にある目黒区教育委員会(平成3年3月)の表示板には次のように書かれています『茶屋坂は江戸時代に、江戸から目黒に入る道の一つで、大きな松の生えた原の中をくねくねと下るつづら折りの坂で富士の眺めが良いところであった。この坂上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄って休んだ。家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたので、「爺々が茶屋」と呼ばれ広重の絵にも見えている。以来将軍が目黒筋へお成りの時は立ち寄って銀1枚を与えるのが例であったという。また10代将軍家治が立ち寄った時には団子と田楽を作って差し上げたりしている。こんなことから「目黒のさんま」の話が生まれたのではないだろうか。』