色鮮やかな二天門、徳川家継の威厳。
旧有章院霊廟二天門の特徴
増上寺の北側に位置し、歴史的な迫力を感じる門です。
色鮮やかな朱色に塗られた二天門は、まるで新しい装飾が施されたようです。
日本政府指定の重要文化財で、徳川家継の霊廟の一部として貴重な存在です。
幼少で亡くなった江戸幕府7代将軍家継の霊廟の門です。霊廟は大戦の空襲で焼失しましたがこの二天門は無事残りました。約5年前に周辺整備と保存修理がされ綺麗に復元されています。なお、増上寺の所有ではないです。
御成門の交差点を過ぎて右手に増上寺をみて歩いているとひときわ豪華な門が見えてきますがそれが有章院霊廟二天門です有章院…歴代の徳川将軍で最年少で将軍職に就き最年少で亡くなった七代将軍徳川家継のことですがその家継のつまりはお墓の門です次の八代将軍徳川吉宗が幼くして亡くなった先代将軍を憐れんでか倹約将軍と陰口を叩かれるほどの質素な上様でありながら先代将軍のためにとめっちゃ豪華なお墓を建てたんやと!先の大戦で豪華絢爛であった他の建築物群は焼失し二天門だけ残ったとか仕方がない事とは言えほんまに貴重な文化財を…💦戦争はほんまに嫌すぎるわ。
増上寺の北側にある華やかな装飾が印象的な門です。この門は徳川家継の霊廟の惣門でした。有章院というのは家継の院号です。徳川家継霊廟はとても豪華な造りであったそうですが、東京大空襲によって焼失。この二天門だけが残りました。華やかな惣門は、失われた霊廟の豪華な姿を彷彿とさせる佇まいです。
とてもきれいに塗装されていて、ぱっと見歴史を感じませんがとんでもない!戦時の空襲でほとんどの建物が焼け落ちている中、残っている数少ない当時の建造物です。重文指定。西にプリンスホテルがありますが、空襲前はそこに徳川家の墓所があり、この二天門はその入り口にあった門。有章院とは徳川七代将軍家継その人です。
有章院霊廟二天門日本政府が指定した重要文化財です。荘厳な多聞天像、広目天像に感動します。
徳川家継の霊廟の一部。東京大空襲で殆どが焼失したが、二天門は焼失せずに残ったそうです。
戦災で焼けた7代将軍徳川家継の霊廟の残存。家継が満6歳で死んで宗家が絶えた将軍家は紀州から吉宗を迎えることになるのだが、吉宗は無駄に一代毎に建てていた霊廟の建築を禁止した。すなわち有章院(家継の法名)が最後の霊廟となるのだが、現存していれば増上寺は霊廟だらけの景観(隣接して6代家宣の文昭院霊廟、増上寺本堂を挟んで南側に2代秀忠の台徳院霊廟)であったろう。往時を想像するには日光の三代家光の大猷院霊廟が唯一完存しているので参考になるが、おおむね二天門、勅額門、中門、御霊屋(権現造)、唐門、拝殿、中門、宝塔(墓塔)と並んですこぶる壮観であった。以前何度か訪問した際は排ガスにまみれ塗装もはげてボロボロだったがようやく塗りなおされたみたいだ。
愛宕神社から増上寺に向かって歩いていて、初めて見ましたが色鮮やかで素敵な門でした。増上寺には何度も訪れていますが、少し離れているので気付きませんでした。外国の方々も写真を撮られていました。
太平洋戦争の空襲でも焼けずに残った重要文化財の門。両脇をかためる広目天像と多聞天像も見事です。
| 名前 |
旧有章院霊廟二天門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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七代将軍徳川家継(たったの5歳で将軍になり9歳で夭逝された)の為に、八代将軍吉宗が享保2年(1717)に建立した霊廟の想門。朱色に金の装飾が美しく、多聞天と広目天が今でもしっかりとお守りしていました。