芥川龍之介の牛乳屋生家跡。
芥川龍之介生誕の地の特徴
芥川龍之介の生家はこの地にあり、歴史を感じられます。
江戸時代の居留地跡や大名屋敷跡が点在しています。
散歩が楽しめる聖路加病院周辺には標識のみの観光地です。
芥川龍之介の自伝的小説にある「牛乳屋さんの生家」があった場所の案内板です。実母の精神状況が悪化して、生後直ぐに母親のお兄さんに養子に出されて両国で育っています。芥川龍之介が子供たちと一緒に木登りしながら遊んでいるフィルムが残されるほどお子煩悩でしたが、自身の出生には大きな影がさしたものでした。また、芥川龍之介が育った両国には、出身校に文学碑が建立されています。養子先の芥川家で文学的素養を得たこともあり、築地は出生に関する案内板だけのようです。しかしながら、35年の芥川龍之介の短い人生で、生後7ヶ月で芥川家の養子になるまでの半年間に住んでいた場所ですが、この地で起きた出来事がその人生に影を落としたように感じます。
明治のころ、この場所には牧場があった。その経営者の長男として、芥川龍之介は1892(明治25)年、この地で生まれた。家庭の事情で、母の長兄に引き取られ、1904年、芥川家の養子になったという。看板は歩道の道路寄りに設置されている。目立たないので、注意していないと、通り過ぎてしまう。
芥川が築地で生まれたとは知りませんでした。
看板のみ。聖路加病院を左手に見ながら、建物側にあるものと探して歩いていたら見落としてしまいました。看板は道路側にあります。
案内板のみです。
碑などはなく中央区教育委員会による案内板のみ。以前は聖路加国際大学南西角にあったものがこちらに新設されている。
歩道に標識のみの場所ですが江戸時代の居留地跡、、浅野家大名屋敷跡、鉄砲州稲荷神社、キリスト教会、聖路加ガーデン、関東学院(東京中学院)、立教学院等、各種私学校発祥地と見処多数。
聖路加病院に沿った通りにこの案内板があります。
場所、変わってます…
| 名前 |
芥川龍之介生誕の地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2017/08/post-4538.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
令和7年8月13日(水)、最近「発祥の地」巡りをする中で寄った場所。碑文は金属プレートの簡素なもので狭い歩道にありかなり分かりづらかった。この碑にはこう記されている。芥川龍之介生誕の地(所在地 中央区明石町10番付近)明治16年(1883)ごろ、この付近(当時の京橋区入船町8丁目1番地)に「耕牧舎」という乳牛の牧場がありました。作家芥川龍之介(1892年~1927)は、明治25年3月1日、その経営者新原敏三の長男として、ここに生まれました。龍之介は生誕後7ヶ月にして、家庭の事情から母の長兄芥川道章に引き取られて、本所小泉町(現、墨田区両国3丁目)に移り、明治37年(1904)芥川家の養子になりました。東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、第四次「新思潮」に発表した「鼻」が夏目漱石に評価され、文壇に出ました。「羅生門」、「地獄変」、「河童」、「歯車」など多くの名作を遺しました。生い立ちは書かれているが晩年の足跡は記されていなかった。まあ、良いものでもなかったしね。それから、Googleマップでは2種類の碑が載っており白抜黒盤のものは発見することは出来なかった。