慶應発祥地、福澤の碑。
慶應義塾発祥の地記念碑の特徴
福沢諭吉氏が蘭学塾を開いた記念碑で、歴史を感じられます。
本の碑が目立つ立地は、聖路加病院の近くにあります。
築地鉄砲洲の歴史を物語る、貴重な文化財です。
慶應義塾の発祥は当地にあります。築地近辺に来る際は立ち寄りたいスポットです。
安政5(1858)年10月、福澤諭吉翁が江戸築地鉄砲洲(現中央区明石町)の中津藩中屋敷内に「蘭学塾」の開塾100周年を記念して建立された。慶応4(1868)年4月、塾が芝の新銀座(現在の港区浜松町)に移転し、そのときの年号をとって「慶應義塾」と命名。明治4(1871)年3月、三田(港区三田)に移転。この移転日を太陽暦に換算して4月23日が開校記念日となった。明治23(1890)年5月、大学部を開設し文学・理財・法律の三科が置かれた。大正9(1920)年4月、大学令による日本最初の私立大学(旧制大学)として新しく発足し、文学・経済学・法学・医学の4学部から成る総合大学となった。
何度か通り過ぎましたが、やっとゆっくり眺める事が出来ました。この記念碑の事はまったく知りませんでした。
ここがあの有名な天は人の上に人を作らずを記した福沢諭吉氏 慶應義塾発祥地だとは!
時代の流れを感じます。
平成30年4月6日訪問。歴史的に由緒ある場所でしたが、持参したデジカメがおんぼろのためにこんなテイタラクな駄写真に・・・。こんな時に高級デジ一があればと思いきや、こんな構図で撮っているのですから、たとえそれを持っていたとしたても駄写真に撮れたはず・・・。おっとここの口コミを忘れましたが、一度おいでやすとしか言いようがありません。慶応出身者にとっては聖地のはずです。
残っています。
当地が「築地鉄砲洲」だったころ、中津藩中屋敷があり、そこに福沢諭吉が藩命により蘭学塾を安政5(1858)年に開いた。当時はもちろん「慶応」ではなく、浜松町あたりに移ってから「慶應義塾」になったのである。この辺を散歩すると、現在も有名な多くの私学の淵叢だったことがよく分かる。
聖路加病院近くにあります。本の形をした碑になっています。
| 名前 |
慶應義塾発祥の地記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://www.tsushin.keio.ac.jp/column/relation/entry/relation_064701.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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道の分岐のそば、三角形に残された土地にあります。ここがかつて鉄砲洲であった事は今や面影なく、石碑のみが歴史を留めています。「天は人の上に人を作らず、天は人の下に人を作らず」の文が刻まれた大理石製の本が置かれています。惜しむらくは彫り込んだ文字に入れた白い塗りがいささか剥げていること。何年かに一度は手を入れないといけないな、と思いました。