古池や蛙飛びこむ、芭蕉の故郷。
芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)の特徴
芭蕉庵史跡展望庭園から徒歩で約8分です。
小名木川に掛かる萬年橋の直ぐそばにあります。
名吟古池や蛙飛びこむ水の音の本拠地です。
松尾芭蕉が庵を結んでいたと推定される場所に建てられたお稲荷さん。石造りのカエルの置物が出てきたのが由来だそう。実物はすぐ近くの芭蕉記念館に収蔵されています。この境内にあるのは摸刻品でしょう。「古池や〜」の句は芭蕉存命中から評判が高く、ゆかりの歌碑や石彫が既にあったそうです。コンパクトな敷地には石碑と草木、由緒書にセルフメイド御朱印までが置かれ凝集感たっぷり。芭蕉ファンなら訪れて損はありません。
むかし芭蕉がこのあたりに住んでおり「古池や蛙飛びこむ水の音」と詠んだのはこのあたりらしい。古池はこのあたりにあったようだ。しかし今では小さなお稲荷さんがあるだけでとても池など残っていない。ちなみに芭蕉が詠んだ句碑もここが狭いので清澄庭園の奥に建っている。
最寄り駅 都営新宿線、大江戸線の森下駅から徒歩10分拝観料は無料 トイレ無し祭神\t 宇迦魂命芭蕉稲荷神社は、大正6年の津波来襲の後、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源太郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷が創建され、大正10年東京府により常盤一丁目が旧跡に指定されたといいます。との事です石の蛙が発見された事でここが芭蕉庵であったであろうとされている場所ちなみに石の蛙は近くの芭蕉記念館に収蔵展示されています。
江東区街歩きの際に訪れました。色褪せた幟がたくさん掲げてあり遠くからでも目立っていました。芭蕉庵跡の石碑が歴史を感じさせる重厚さです。
芭蕉庵史跡展望庭園付近にある稲荷神社で、清澄白河駅A1出口からは徒歩にして7〜8分程度の距離である。大正6年の台風による高潮の後この場所より松尾芭蕉が愛蔵していたとされる石蛙が出土した事でこの地を芭蕉翁古池の跡とし、稲荷神をお祀りしたのが芭蕉稲荷神社である。
小名木川にかかる萬年橋を渡って直ぐの場所です。松尾芭蕉が住んでいた芭蕉案があった場所に創建された神社で、この場所で「古池や蛙飛びこむ水の音」の句も詠まれています。芭蕉の死後、大名屋敷の一部として残されていましたが、幕末から明治にかけて一旦は失われました。ところが、大正の頃に台風による高波がこの辺りを襲った後に、芭蕉遺愛の石蛙が見つかり、その石蛙をご神体に神社が創建されています。また、ご神体の石蛙は、そぐ近くの芭蕉記念館に展示されています。けっこう可愛い顔をしています。
松尾芭蕉は、1680(延宝8)年に現・文京区関口から当地に居を移しました。第一次芭蕉庵は天和の大火(お七火事)で焼失し、その後第二次庵がほぼ同じ場所に、第三次庵は旧庵の近辺に建てられました。芭蕉は大阪で病没するまでここを本拠とし、1686(貞享3)年に第二次庵で「古池や蛙飛びこむ水の音」を詠みました。芭蕉の死後、1697(元禄10)年に庵のあった一帯は信濃国飯山藩・松平遠江守忠喬の下屋敷に取り込まれ、芭蕉庵は旧蹟として残されていましたが、幕末から明治にかけて消失しました。1917(大正6)年、台風による高潮がこの付近を襲った際、芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が発見され、ここに石蛙を御神体として稲荷を祀り当社が創建されました。石蛙は現在、近くの芭蕉記念館に展示されています。芭蕉が生きていた頃は、このあたりも今とは違うのどかな風景だったんでしようねえ。芭蕉記念館、芭蕉史跡展望庭園とセットで訪ねると楽しいですよ。
松尾芭蕉のゆかりのある稲荷神社。
松尾芭蕉の旧居、芭蕉庵跡に建つ稲荷社。有名な、古池や蛙飛びこむ水の音…はこの芭蕉庵で詠んだ句。芭蕉亡き後、武家屋敷の敷地に取り込まれ、蛙が飛び込んだ古池どころか松尾芭蕉が住んでいたという痕跡は、太平洋戦争の空襲もあり現在に至るまで全く残されていない。ただ、大正期に津波の被害に遭い、その時に地中から芭蕉の愛した蛙の石像は出てきたんだそうな。
| 名前 |
芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3647-9111 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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芭蕉が庵を結んだ所に祠が出来て参拝できるように設えてあります。私にはまだ「俳聖・松尾芭蕉」の本当の凄さは分からないのですが、将来に望みを掛ける思いでお詣りさせて頂きました。ここから出土した芭蕉翁が愛したとされる石の蛙は近隣の「江東区芭蕉記念館」という立派な施設に展示されています。そちらへも是非。